1957(昭和32年)

■「コカ・コーラ」のレギュラーサイズ(190ml)の製造・販売を開始

1957年(昭和32年)上半期に東京飲料が割り当てられたのは、外貨2万ドル相当の「コカ・コーラ」原液。当時は輸入したこの原液で、民間市場での「コカ・コーラ」の発売を目指し、レギュラーサイズ(190ml)の製造を開始しました。

 

■5月8日(コカ・コーラの誕生日)に、日本における民間施設への販売第1号となる社団法人 東京アメリカンクラブに20ケースが東京飲料(株)より納品された。

1957年(昭和32年)5月8日、カスタマー第1号である社団法人 東京アメリカンクラブに「コカ・コーラ」20ケースを納品。日本での「コカ・コーラ」事業にとっても記念すべき「『コカ・コーラ』の誕生日」となりました。さらに同年9月にはファミリーサイズ(26オンス)のびん詰設備を設置。軍民のマーケットでの販売に活用されました。

 

■東京飲料の設立に呼応し、原液供給元として日本飲料工業株式会社⦅のちの日本コカ・コーラ株式会社(株)⦆が創設

1957年(昭和32年)6月25日、日本飲料工業株式会社が設立。ウィリアム・H・ロバーツが社長に着任し、社員10名でのスタートとなりました。ザ コカ・コーラ エクスポート コーポレーション全額出資により日本法人として誕生したこの会社が、現 日本コカ・コーラ(株)の母体となっています。


日本飲料工業(株)の社屋建設工事

 

1958(昭和33年)

■日本飲料工業株式会社の社名を「日本コカ・コーラ株式会社」に変更。社屋を横浜から東京都大田区雪ヶ谷に移転

日本飲料工業は1958年(昭和33年)3月15日、「日本コカ・コーラ株式会社」に改称。同年5月1日には本社を横浜から東京都大田区雪ヶ谷に移転しました。新資本金は3,800万円、従業員数は13名に増え、新たなステップを踏み出します。


当時の東京・雪ヶ谷本社

 

■雪ヶ谷に原液工場が竣工

日本各地に設立されたボトラーの社数と販売予測量を鑑みると、必要に見合うだけの原液輸入が難しいことが予測されました。その理由は、日本政府からその輸入に必要な外貨が割り当ててもらえない可能性があるから。この外貨問題を解決するためにも、国内における原液の生産が求められ、東京都大田区雪ヶ谷に原液工場を設置する運びとなりました。(現在、原液工場は滋賀県に所在)


建設中の雪ヶ谷本社

 

■製品の製造・販売が規制されていた「コカ・コーラ」ではなく「ファンタ」の生産からスタート

1958年(昭和33年)4月、日本における「コカ・コーラ」原液の製造工場として設置された雪ヶ谷工場でしたが、完成と同時に生産を開始したのは「ファンタ」の原液でした。候補となったフレーバーは15種類で、そこから選ばれたフレーバーは、「オレンジ」「グレープ」「クラブソーダ」の3種類。 それぞれ200mlびんで販売を開始しました。


昭和30年代初期のルートトラック