128年もの長きにわたり、
世界中で親しまれ続けている炭酸飲料「コカ・コーラ」。
その歴史の厚みの分だけ、コカ・コーラには
私たちの知らない「トリビア=豆知識」があります。
「へえ〜」と思わずうなってしまう
ベスト・オブ・トリビアの数々を、ここに公開!
「ホンマタカシが撮る『コカ・コーラ お宝グッズ』に続く
コカ・コーラ特集企画第2弾です!

文=塩沢 槙


[トリビア1]
コカ・コーラを開発したのは薬剤師だった。
[解説]
 コカ・コーラは1886年5月8日にジョージア州アトランタで誕生しました。コカ・コーラのシロップを開発したのは、地元の薬剤師ジョン・S・ペンバートン博士。博士はシロップを新製品として売り出すために、近所のジェイコブスファーマシーという薬局にシロップを持ち込みました。そこで町の人々に試飲してもらったところ、「すばらしい」という評価を得たため、ソーダファウンテン(喫茶店のようなところ)で1杯5セントで販売することにしたのです。
 ちなみにこの新製品にコカ・コーラと名前を付けたのは、ペンバートン博士のパートナーであり経理係でもあった、フランク・M・ロビンソンです。
Coca-Cola Journey Special“Coke”
思わずうなる「コカ・コーラのトリビア20」

ジョン・S・ペンバートン博士とジェイコブスファーマシー



[トリビア2]
コカ・コーラ発売当初の売り上げは、1日平均9杯であった。
[解説]
 コカ・コーラの発売から間もなくして、初めての新聞広告がアトランタ・ジャーナル紙に掲載されました。そして、試飲会がソーダファウンテンで行われ、そこにアトランタ市民が招かれました。このようにして、コカ・コーラは人々に少しずつ知られていったのですが、発売初年度の売り上げは、1日平均9杯そこそこでした。
Coca-Cola Journey Special“Coke”
思わずうなる「コカ・コーラのトリビア20」

ソーダファウンテン



[トリビア3]
コカ・コーラ社のスタートアップ期の成長をもたらしたのは、新聞広告と2代目経営者だった。
[解説]
 ペンバートン博士は、自身がつくり出した飲み物が秘めていた大きな可能性に気付くことはなく、1888年(彼が亡くなる直前)、コカ・コーラの利権をすべてエイサ・ G・キャンドラーに売り渡しました。
 後に、このキャンドラーがコカ・コーラを急成長させることになります。彼の手腕によってコカ・コーラのシロップの売上高は急増、1892年には発売初年度の10倍近くにまで上昇していました。
 そして兄弟のジョン・S・キャンドラーおよびジョン・S・ペンバートンのかつてのパートナーであるフランク・ロビンソン、ならびに他の2人の共同出資者らとともに、ジョージア州にザ コカ・コーラ カンパニー(The Coca-Cola Company)を設立したのです。
Coca-Cola Journey Special“Coke”
思わずうなる「コカ・コーラのトリビア20」

エイサ・G・キャンドラー



[トリビア4]
コカ・コーラ初のロゴ入りノベルティグッズは、うちわだった。
[解説]
宣伝による売上増効果に手ごたえを感じていたキャンドラーは、マーケティングの取り組みを拡大することを決意。コカ・コーラの認知度を上げるために、数千枚もの無料試飲クーポンを配布しました。また、「Coca-Cola」ロゴをあしらった無数のノベルティも製作。うちわ、カレンダー、時計、飾りつぼなどをさまざまな場所で配布したのです。その結果として、コカ・コーラは米国民にとってより身近な“国民的飲料”になっていきました。
Coca-Cola Journey Special“Coke”
思わずうなる「コカ・コーラのトリビア20」

つり銭用に使用されたトレイ



[トリビア5]
コカ・コーラ社初の本社ビルは3階建てだった。
[解説]
 コカ・コーラの需要が急速に高まり、既存の設備ではその需要に対応しきれなくなったため、シロップの製造・管理業務に特化した初の本社ビルが1898年に建設されました。キャンドラーはこの3階建ての本社ビルを「今後どれほどの需要が生じても、十分に対応できるもの」として太鼓判を押しました。しかしその後わずか10年後には、この本社ビルも手狭になってしまいます。
 コカ・コーラは、さらに大きく成長を遂げることになるのです。
Coca-Cola Journey Special“Coke”
思わずうなる「コカ・コーラのトリビア20」

1915年ごろまでは馬車でコカ・コーラをソーダファウンテンに届けていた