文=テッド・ライアン

ザ・ビートルズとコカ・コーラと伝説のクラブの知られざる歴史
The Beatles,Coca-Cola and the Casbah Coffee Club
ザ・ビートルズ。すべての伝説はカスバ・コーヒー・クラブから始まった

数年前、私はザ・ビートルズが初めてライヴ演奏した場所=カスバ・コーヒー・クラブの歴史について書かれた『The Beatles──The True Beginnings』(Roag Best with Pete and Rory Best著)という本を購入しました。「ビートルマニア」の私がこの本を買った理由はただ一つ。表紙の写真に「コカ・コーラ」のクーラーが写っているのを見つけたからです。表紙になぜコカ・コーラのクーラーが写っているのだろうか? 私はその理由を猛烈に知りたくなり、カスバ・コーヒー・クラブのHP casbahcoffeeclub.comからローグ・ベストに問い合わせたのでした。
それから数ヵ月間、私たちはメールのやりとりを楽しんだのですが、その楽しさを、皆さんとも共有できたらと思います。内容は、カスバ・コーヒー・クラブの誕生、ザ・ビートルズ、そしてコカ・コーラのストーリーです……。

ザ・ビートルズ処女演奏の場所カスバ・コーヒー・クラブ

ザ・ビートルズとコカ・コーラと伝説のクラブの知られざる歴史
The Beatles,Coca-Cola and the Casbah Coffee Club
カスバ・コーヒー・クラブの壁面には、ジョンやポール、ジョージらが描いたデザイン画がそのまま残っている

1959年、モナ・ベストはリバプールのティーンの間で高まりつつあったロックミュージック人気に便乗するために、ヘイマンズ・グリーン8番地にある彼女の家の地下にコーヒークラブを開業します。そこは、クモ、ドラゴン、星などの凝ったデザイン画が、家族や、ジョンポールジョージという地元の少年たちによって描かれた地下空間。オープン日は1959年8月29日で、店名はカスバ・コーヒー・クラブでした。いまでは考えられない話ですが、ジョン・レノンポール・マッカートニー
ジョージ・ハリスンケン・ブラウンで結成したザ・クオリーメンが音楽面でのエンターテインメントを提供しました。
カスバ・コーヒー・クラブのレギュラーになったクオリーメンは、その後、バンドのメンバーだけでなく、バンド名さえも変更することになります。ポール・マッカートニーピート・ベストにドラマーとしてバンドに参加するよう依頼、さらに、ツアーでドイツのハンブルグに向かうときにバンド名を「ザ・ビートルズ」へと変更したのです。
1960年12月17日、ツアーを終えてリバプールへ戻ったザ・ビートルズは、ドイツで完成させた新しいロックサウンドをカスバ・コーヒー・クラブで演奏しました。そして、ザ・ビートルズは、その6ヵ月後には、ロンドンでデモテープを録音していました。程なくビートルマニアが現れました。

なぜ、コーヒー・クラブにコカ・コーラはあったのか

ザ・ビートルズとコカ・コーラと伝説のクラブの知られざる歴史
The Beatles,Coca-Cola and the Casbah Coffee Club
かつてコカ・コーラは、カスバ・コーヒー・クラブのイチオシドリンクだった

さて本題です。いったいカスバ・コーヒー・クラブにおけるコカ・コーラの役割は何だったのでしょうか? 実際は、皆さんの想像以上に深い関わりがありました。なぜそれがわかったかというと、ローグ・ベストを通じて、リバプールにあるコカ・コーラのボトラー社に勤務していたジョニー・ジョンソンと情報交換をすることができたからです(インタビューは下記)。
ジョンソンによるとカスバ・コーヒー・クラブはコーヒークラブとは呼ばれていましたが、「コカ・コーラ」を大プッシュしていたそうです。そしてプッシュするために、カスバ・コーヒー・クラブの名前の入った「コカ・コーラ」の看板も入手していました。クラブには、ジョンソンによって特製のクーラーも複数設置され、そのお蔭もあって「コカ・コーラ」は売れ行き好調でした。
その後カスバ・コーヒー・クラブは、週に2~3回の納入を必要とするほど、リバプールで「コカ・コーラ」が最も売れる得意先になりました。最高の音楽と大勢のティーンが集まる素敵な新しいスポットの組み合わせが、「コカ・コーラ」の販売業者にとって魅力的なのは当然のこと。だからこそ、クラブ内で「コカ・コーラ」を仕掛け、結果として大人気製品となったのです。カスバ・コーヒー・クラブと「コカ・コーラ」の結びつきは、ジョンソンが何度もバンドと共演したことがあるくらい強いものでした。
現在のカスバ・コーヒー・クラブは、「ビートルズ博物館」として、1962年の閉店当時の状態で保存されています(同年、ザ・ビートルズは1stアルバムをリリースしました)。ここには、ステージ、音響装置、バンドが描いた絵までもがそのまま残されています。私はリバプールを訪れたことはありませんが、もしもリバプールに行く機会があれば、最初に向かうのは間違いなくカスバ・コーヒー・クラブでしょう。

黎明期のザ・ビートルズを知るジョニー・ジョンソンへ3つの質問

Q. コカ・コーラには何年勤務しましたか。
A. 1958年から1962年まで務めていました。ちょうどザ・ビートルズが誕生した時期に、ルートセールス担当として働いていたのです。
Q. ボトラー社に勤務されていたのですか。
A. そうです。リバプール エイントリー チャーノックロードのボトラー社で働いていました。
Q. カスバ・コーヒー・クラブでサービスを提供していた頃の特別な思い出はありますか。
A. 思い出ですか。どのくらい時間がありますか? 話せば長くなりますよ(笑)。私はカスバ・コーヒー・クラブコカ・コーラを定期的に配送していました。おそらく週に2~3回です。そしてあるとき、このクラブでモナ・ベストに会ったのです。彼女なしにザ・ビートルズは誕生しなかったでしょうから、これこそが、ザ・ビートルズの伝説のすべての始まりだといえます。レコード会社アップルの常務取締役であるニール・アスピノールにもそこで会いました。もちろん、ピート・ベストにも。とてもかっこいい青年でした。
カスバ・コーヒー・クラブは私にとって常に、一日の始めと終わりに行く場所でした。そこで飲まれた「コカ・コーラ」は信じられない量です。そもそもカスバ・コーヒー・クラブはワクワクさせられる場所だったので、私たちはいつもそこに行こうとしていました。私はただベスト家の一員になって、ベスト家に認められたかったのです。そしてそれが実現しました。
ベスト家の一員になるや、モナは私たちを使ってあらゆることをさせました。ペイントも手伝いましたし、芝刈りもさせられました。すべてはモナカスバ・コーヒー・クラブのためと思って喜んでやっていました。このクラブのためにできるだけたくさんの広告を確保しようともしました。ちなみに、『The Beatles──The True Beginnings』の表紙に写っている「コカ・コーラ」の看板をかけるようにしたのは私なのです。もちろんコカ・コーラは、看板の掲出を誰にでも許すわけではありません。許されるためには特別なお客様(取引先)である必要があるのですが、カスバ・コーヒー・クラブは“特別”だったというわけです。
カスバ・コーヒー・クラブ周辺の私道にバンを乗り入れる際には、いつも苦労したのを覚えています。なぜなら、界隈の芝生のいたるところや、ザ・ビートルズのバンの周りにテントが張られていたからです。少女たちはピートを一目見ようと何日も外でキャンプをしていました。面白いことに、そのバンには赤い口紅のキスマークや、「ピート愛してる」といった文字が描かれていました(笑)。ピートはバンの中で宿題などをして夜を過ごすことがたびたびありました。
私はカスバ・コーヒー・クラブで多くの人と交流しました。ピアノを演奏したり、ザ・ビートルズと一緒にステージに立ち、たった1曲だけではありますが、「Red River Valley」を演奏したこともありました。ザ・ビートルズと一緒に演奏できたことは私の自慢ですね。
モナのために、カスバ・コーヒー・クラブのドア係をしたことさえあります。夜の仕事終わりには上階の厨房のキッチンテーブルの周りに座って「コカ・コーラ」を飲みながら、モナザ・ビートルズと一緒に雑談をしていました。いま思えば、信じられない時間でした。
いつしかザ・ビートルズは世界で最も有名なグループになり、私は数多くのコカ・コーラ クーラーを販売したことで、クーラーのキングとして知られるようになっていたのです。