[トリビア11]
冷えたコカ・コーラが小売店で飲めるようになったのは戦前(昭和4年)のことだった。

[解説]
 1929年、金属製のオープントップクーラーの導入により、小売店で冷えたコカ・コーラを提供できるようになりました。これは画期的なできごとでした。その後、機械式冷却および自動コイン制御の機能が追加されたことで、工場やオフィスなどの多くの施設で、その場で瞬時に爽快感を味わえる清涼飲料を販売できるようになったのです。

[トリビア12]
自動ファウンテンディスペンサーのお披露目は、シカゴ万国博覧会だった。

[解説]
 ドリンクが注がれる際にシロップと炭酸水が混ざり合う自動ファウンテンディスペンサーが初めて導入されたのは、1933年のシカゴ万国博覧会でのこと。コカ・コーラは1886年に開発されて以来、ずっとソーダファウンテンの操作担当者の手によって注がれていました。ですから万博を訪れた人々は、係員がハンドルを引いただけで自動的に1杯分のドリンクがつくられ、グラスに注がれる様子を見て驚いたのです。
 1937年頃になると、自動ディスペンサーはコカ・コーラに欠かせないものとなりました。

Coca-Cola Journey Special“Coke”
思わずうなる「コカ・コーラのトリビア20」

1933年のディスペンサー



[トリビア13]
コカ・コーラ初の海外注文は、イギリスからだった。

[解説]
 1900年、エイサ・G・キャンドラーの長男チャールズ・ハワード・キャンドラーが、シロップの壺を携えてイギリスへのバケーションに出かけました。そのことが、イギリスでコカ・コーラが認知されるきっかけになりました。その後イギリスから、アトランタ本社にシロップ5ガロン(約19リットル)の注文が入ったのです。
Coca-Cola Journey Special“Coke”
思わずうなる「コカ・コーラのトリビア20」

1896年頃の陶器製シロップ容器




[トリビア14]
コカ・コーラの国際流通は、キューバとプエルトルコから始まった。
[解説]
 イギリスからの注文が入った1900年、コカ・コーラはキューバとプエルトリコにも持ち込まれ、間もなくコカ・コーラシロップの国際流通が始まりました。1900年代初期には、キューバ、プエルトリコ、パナマ、カナダ、フィリピン、グアムにボトリング工場が建設され、1920年に入ると、ヨーロッパ大陸初のボトラーとして、フランスのボトリング会社が業務を開始したのです。

[トリビア15]
スポーツの祭典オリンピックとコカ・コーラのお付き合いが始まったのは第9回アムステルダム大会から。
[解説]
 オリンピックの米国代表団とともにコカ・コーラ1,000ケースを積んだ貨物船がアムステルダムに到着した1928年夏、コカ・コーラとオリンピックの連携が始まりました。スタジアムを埋め尽くした4万人の観衆は、初の聖火点灯(聖火点灯がオリンピックに採り入れられたのはアムステルダム大会から)、および初のコカ・コーラ販売という、二つの新イベントを目撃することになりました。スタジアム内では「Coca-Cola」ロゴをあしらったキャップとコートを着用した売り子が観戦中のファンの喉の渇きを癒やし、スタジアムの外では、売店、カフェ、レストランなどで、ソーダファウンテンから、あるいはびん入りでコカ・コーラが提供されました。
Coca-Cola Journey Special“Coke”
思わずうなる「コカ・コーラのトリビア20」

1928年オリンピック アムステルダム大会でコカ・コーラを販売する様子