「矢印を見かけたら、『コカ・コーラ』を思い出そう」と呼びかける広告

文=ジャミル・マクマリン

 

■インターンから見た「コカ・コーラ」成長の軌跡

2016年の夏、私はザ コカ・コーラ カンパニー(本社:米国ジョージア州アトランタ)の広報部門でインターンシップを経験しました。インターンシップ中の思い出はたくさんありますが、一番記憶に残っているのは私に与えられた「ある課題」のことです。

その課題とは、「ザ コカ・コーラ カンパニーの社史の決定版と言われている『Secret Formula』(フレドリック・アレン著、1994年)を読んで、アトランタの小さな薬局で誕生した『コカ・コーラ』が、世界有数のブランドへと成長した理由を、自分なりにまとめてみる」というものでした。

課題を与えられたときには「まさかインターンの私が“会社の成功要因”について意見を述べる機会に恵まれるなんて!」と驚きましたが、喜んで引き受けることにしました。

それではさっそく、私が考えるザ コカ・コーラ カンパニーの成功要因をご紹介いたします。

 

成功要因その1:「定価5セント」を守り続けたこと(1886年~1940年代)
コカ・コーラ カンパニーの初期の経営陣は、「コカ・コーラ」をより多くの人に広めるためには、「手ごろな価格」であることが重要だと考えていました。そのため、世界大戦や大恐慌などによる度重なる経済状況の悪化にもかかわらず、50年以上もの間「コカ・コーラ」の価格はずっと5セント(0.05ドル)に据え置かれました。その甲斐あって「コカ・コーラ」の需要は順調に伸び、「コカ・コーラ」シロップ(※)の生産量も増加し続けました。

※当時の「コカ・コーラ」はシロップの状態で販売店に卸され、薬局などの一角に設けられたソーダファウンテン(カウンター形式の喫茶店のような施設)で炭酸水と混ぜて提供されることが一般的でした。

 

成功要因その2:無料試飲クーポンを発明したこと(1894年)

コカ・コーラ」は、その販売開始当初、米国南部では大評判となったものの、それ以外の地域ではほとんど無名の存在でした。そこで、1888年に発明者のジョン・S・ペンバートン博士から「コカ・コーラ」のレシピを購入したエイサ・G・キャンドラー(ザ コカ・コーラ カンパニー初代社長)は、「コカ・コーラ」の無料の試飲クーポンを配布することにしました。「コカ・コーラ」の知名度を向上させるには、何はともあれ、多くの人に飲んでもらわないことには始まらないと判断したのです。1894年から1913年にかけて配られたクーポンの数は、なんと850万枚以上に及んだそうです。配布期間が終わるころになると、「コカ・コーラ」は、米国民の9人に一人が飲んだことのある国民飲料となっていました。

 

成功要因その3:独自の流通システムを確立したこと(1899年)

キャンドラー社長は19世紀の終わりになると、「コカ・コーラ」の流通網の拡大に力を入れました。そのために彼が選択したのは、「コカ・コーラ」のボトル詰めの販売権をより多くの会社に付与するフランチャイズ方式でした。そうすることで、製品の迅速な全国展開を目指したのです。

キャンドラー社長は、まず、1899年に、「コカ・コーラ」のボトル詰めの販売権をテネシー州の弁護士ベンジャミン・トーマスジョゼフ・ホワイトヘッドに1ドルで売却します。この二人によって築かれたのが、ザ コカ・コーラ カンパニーとフランチャイズ契約を結んだ多くのボトラー社による流通体制です。この体制はキャンドラー社長の期待をはるかに上回る効果を発揮しました。このようにして「コカ・コーラ」は、全国、そして、世界中へと届けられるようになったのです。「コカ・コーラ」は現在、250以上のボトラー社との契約の下、200を超える国や地域で販売されています。

 

成功要因その4:「コカ・コーラ」ボトルを生み出したこと(1915年)

コカ・コーラ」は発売開始直後から、膨大な数の“模造品”に悩まされることとなりました。そこでザ コカ・コーラ カンパニーは、模造品対策として、オリジナルのボトルを開発することにしました。複数のガラス企業に出した開発の条件は、「暗闇で触れても、地面に砕け散っていても『コカ・コーラ』だと分かるような特徴的なボトル」であること。

その結果、ルート・グラスカンパニーは、現在「コカ・コーラ」のコンツアーボトル(グラスボトル)として知られるボトルのデザインを生み出しました(1915年のことです)。今では100年以上の歴史を持つ「コカ・コーラ」のコンツアーボトルは、世界中の人々に愛され、誰もが一目でそれと分かる「コカ・コーラ」の象徴的存在となっています。

 

成功要因その5:米国兵士の中に「コカ・コーラ」愛を育んだこと(1940年代)
第二次世界大戦中、ザ コカ・コーラ カンパニーのロバート・W・ウッドラフ社長は、「世界中にいるすべての米軍兵士が5セントで『コカ・コーラ』を手に入れられるようにする。そのためのコストは惜しまない」、という意思を表明しました。そしてザ コカ・コーラ カンパニーは、ウッドラフ社長のビジョンに従って海外市場に製品を送り込み、世界中に進出していきました。この方針は事業の海外展開を加速させただけでなく、米国兵士やその家族の「コカ・コーラ」に対する強い思い入れを育むことにもなりました。彼らの「コカ・コーラ」に対する愛情は、世代を超えて受け継がれていくこととなります。

 

次のページ>> 「コカ・コーラ」人気を決定づけた新製品たち

「1」 「2」 次のページ≫