コカ・コーラ」の生まれ故郷で開かれた1996年 アトランタオリンピック。アトランタ市中心街の5万平方メートル近い敷地に開設したテーマパーク「コカ・コーラ オリンピックシティー」は80万人近くの来場者を迎え、市内2ヵ所の「コカ・コーラピン・トレーディング・センター」には世界中の“ピン”コレクターが押し寄せました。そしてあらゆる場所で、キンキンに冷えた清涼飲料が観客、スタッフ、選手たちののどを潤したことは言うまでもありません。

“地元”の大会ということもあり、大勢のコカ・コーラ社社員がこの大会をサポートしました。今回は、1996年 アトランタ大会に関わった6人のコカ・コーラ社社員に、当時の思い出を聞かせてもらいました。彼らが提供してくれた写真と一緒にお楽しみください。

文=ジェイ・モイエ

 

スコット・ウィリアムソン:PRマネジャーが経験した、最高の晴れ舞台

私は「コカ・コーラ オリンピックシティー」のPRマネジャーを務めました。あれほどやりがいのある仕事は、自分のキャリアの中でも後にも先にも経験がないと思います。私の主な役割は、「コカ・コーラ オリンピックシティー」の素晴らしい施設やその周辺で、メディアの取材対応をすることでした。あの夏は、世界中から3,000以上のメディアがアトランタを訪れましたから、PR担当にとっては夢のような時間でしたね。

コカ・コーラ社のスポークスマンとして、TVインタビューもお手のもの……のはずだったのですが、そんな自分のイメージが維持できたのは、私の両親が息子の活躍ぶりを見物に来るまでのわずかな時間でした。母の目には、私がまだ7歳の子供に映ったのでしょう。母はカメラの前にいた私のところに進み出てきて、おもむろに自分の指をなめたかと思うと、私の顔についていた汚れをふき取ったんです。PRチームのメンバーはもちろん、TVのレポーターやカメラマンも見ている前でですよ! あれから20年が経っていますが、いまだに、あのネタでからかわれています。

いまやグローバル企業となったコカ・コーラ社。ただ、1996年のあの時期だけは、アトランタ市の小さな一企業(創業時のような!)に戻っていたように思います。とにかく社内の誰もが、ホームタウンで開催されるオリンピックをいかに成功させるかということを考えていたのですから。オフィスの窓からは、競技会場ができ上がっていく様子が見えました。競技会場でボランティアとして活躍する社員も大勢いました。社員全員が、何らかの形でオリンピックに貢献したのです。

コカ・コーラ オリンピックシティー」は、1994年頃にコンセプトがつくられ、1996年の5月に開業しました。オリンピックの公式会場ではありませんでしたが、アトランタ市の中心街で最初にオープンしたオリンピック関連スポットの一つだったので、早めにアトランタ入りした海外の人たちや、大会前にオリンピック気分を味わおうとするアトランタ市民が大勢訪れてくれました。

コカ・コーラ オリンピックシティー」の目玉は、来場者自身がオリンピック選手になったかのような気分になれるアトラクションの数々です(たとえば、バーチャルオリンピック選手と一緒に100メートル走ることのできるトラック、聖火リレーで使われたトーチと一緒に写真を撮ることのできるスポットなどがありました)。夜には円形のステージでコンサートを開催しました。誰もが楽しめるように多彩なアトラクションを揃え、入場料を安く抑えたことが支持されたからこそ、多くの人が何度も足を運んでくれたのだと思います。

オリンピック期間中、「コカ・コーラ」はアトランタ市内のあらゆる場所に登場しましたが、出しゃばり過ぎず、かといって目立たないこともない絶妙な存在感を示したと思います。私はジョージア州生まれのアトランタ市民として、地元の都市がこのビッグイベントを成功させることができたことを何よりも誇りに思いました。公式行事のすべてが終わり、最後にオリンピック会場を出るときになってようやく、「本当にアトランタ市でオリンピックが開催されたんだ!」と実感が沸きあがってきたのを覚えています。

 

リック・デオゴスティニス:招致活動から始まったオリンピックとの縁

大会当時、私は「コカ・コーラ オリンピックシティー」のマーケティングディレクターを務めていたのですが、これはまさに“念願の”仕事でした。というのも、1996年 アトランタ大会に関わることは、私がコカ・コーラ社に入社する際に挙げた志望理由そのものだったからです。

ジョージア工科大学の学生だった頃、私はアトランタ市へのオリンピック誘致活動にボランティアとして参加していました。1990年9月に開催都市がアトランタ市に決定したとき、私は自分の経験を、オリンピック最大のスポンサー企業であるコカ・コーラ社で活かしたいと思ったのです。そこで、まずはインターンとしてコカ・コーラ社で働き始めました。そしてその夏の終わりには正社員として採用され、新設されたコカ・コーラ社オリンピック担当チームに配属されることが決まりました。

私はその後、「コカ・コーラ オリンピックシティー」の企画チームの一員となりました。そして、誰もがオリンピックの各競技を疑似体験できるような、コカ・コーラ社にしかできないアトラクションをつくり出す方法を考え抜きました。

アトラクションに関するプランを練っている最中、「コカ・コーラ オリンピックシティー」はオリンピック開催期間だけでなく、1996年の夏中ずっと運営を続けることが決まりました。2~3年かけてプランを何度も練り直し、最終計画が固まったのは大会の18ヵ月前でした。

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