文=テッド・ライアン

■アニメの運命を変えた、コカ・コーラ社の提案

ザ コカ・コーラ カンパニー(米国本社)のアーカイブ庫には、「コカ・コーラ」の歴史の厚みを物語るかのような膨大な量の広告やアート作品が保管されています。そして、そのアーカイブ庫の入口近くには米国のクリスマスの名物アニメ番組「チャーリー・ブラウン・クリスマス」の1シーンが描かれた大きな絵が置かれています(この手描きの絵には、チャーリー・ブラウンスヌーピーなどのキャラクターで知られる漫画『ピーナッツ』の原作者、チャールズ・シュルツの署名もちゃんと入っています)。
アーカイブ庫の管理を統括する私は、「チャーリー・ブラウン・クリスマス」の絵がなぜここにあるのかと、訪問客からよく質問を受けます。それはそうでしょう。普通であれば、米国の名物番組と「コカ・コーラ」のつながりなど、すぐには思いつかないでしょうから。ところが、この番組と「コカ・コーラ」の間には、ある物語が隠されていたのです。今回は、その“物語”をご紹介しましょう。
1965年12月9日午後7時30分、「チャーリー・ブラウン・クリスマス」はクリスマス用の特別番組として製作され、CBSネットワークで初めて放映されました。同番組はたちまち大評判となったのはもちろん、視聴者数も3,600万人に上ったと推計されています。それから半世紀が過ぎた現在、すっかりクリスマスの風物詩として定着しているこの番組ですが、放映が実現するまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。
当時、チャールズ・シュルツが生み出した「ピーナッツ」のキャラクターは、新聞漫画を通してすでに広く知られていましたが、テレビアニメには適していないのではないかと思われていたのです。実際その懸念を裏付けるかのように、リー・メンデルソンシュルツによって試作されたアニメ作品(チャーリー・ブラウンが世界で一番下手な野球選手だという設定を中心に据えたストーリー)は、米国の主要テレビ局3社全てにその放映を却下されてしまいました。
ところが、「捨てる神あれば拾う神あり」です。スポンサーシップを打診されていたコカ・コーラ社も、当初野球選手に設定されたストーリーには関心を抱かなかったのですが、「ピーナッツ」のクリスマス特別番組として制作してみるのはどうかとメンデルソンに提案、この提案が流れを一気に変えることになります。

■かくしてクリスマスの定番アニメは誕生した

コカ・コーラ社の提案を受けて、メンデルソンシュルツはすぐさま1ページのごくシンプルな企画書を作成、この企画は見事採用され、コカ・コーラ社は二人に宛ててアニメ作品のスポンサーシップを確定する旨の電報を送信したのです。
番組の放映が決定すると、シュルツメンデルソンはアニメ作品の本格的な制作に取り掛かりました。この時点で、番組の納品までに残された期間は3ヵ月。この短期間で、アニメーターのビル・メレンデズは3万枚以上のセル画を作成し、音声の収録もしなければなりませんでした。
ハードだったのは制作期間だけではありません。キャラクターづくりや脚本づくりもなかなか大変でした。というのも、当時としては珍しく、シュルツは、子どものキャラクターの声を実際の子どもに担当させようと決断していました。さらに、登場人物のライナスが丸々1分間聖書を読み上げるシーンを入れることも宣言していたのです。
娯楽番組としては、異例すぎる内容です。周囲は大反対、それにも関わらず、シュルツはその主張を押し通してしまったのでした。
難産の末に誕生した「チャーリー・ブラウン・クリスマス」。1965年12月9日にテレビの前にいた米国国民の、実に半数近くがチャーリー・ブラウンと友人たちの物語を楽しむ結果になりました。ちなみに、番組スポンサーとしてコカ・コーラ社が出した唯一のリクエストは、全国各地のボトラー社の支援により番組スポンサーが可能になったことを伝えるタイトル画面を入れる、ということだけでした。