聞き手=野村訓市
写真=若木信吾
構成=『Coca-Cola Journey』編集部


日本初のリミックスDJ。小泉今日子UAなど多数のアーティストをプロデュースした音楽プロデューサー。エリック・クラプトンの親友。《グッドイナフ》《ヘッドポーター》のディレクターにして裏原宿ブームの中心的人物。Webマガジン《ハニカム》のファウンダー。《NIKE》のクリエイティヴ・コンサルタントであり、《フラグメント》主宰者として《LOUIS VUITTON》など数々のブランドとコラボレーションするプロデューサー&ディレクター……。

藤原ヒロシさんという人物について第三者に語ろうとするとき、どうしても説明が冗長に流れてしまう。それほどに、彼が活動するフィールドは広大で多彩だ。この誰もが認める“日本のトレンドセッター”に『Coca-Cola Journey』は、インタビューする機会を得た。いったい藤原さんは、「コカ・コーラ」に象徴される「アメリカンカルチャー」とどのように向き合い、解釈し、受け入れてきたのか。「アメリカンカルチャー」の行方をどのように捉えているのか。2016年夏、できたばかりの日本コカ・コーラ新社屋で、アメリカ贔屓にしてアメリカ通の野村訓市さんが「藤原ヒロシさんにとってのアメリカ」に迫った。

■1983年。クラブ黄金期のニューヨーク

──ヒロシくんは「コカ・コーラ」飲むの?

藤原ヒロシ(以下、HF) よく飲みますよ。「コカ・コーラ ゼロ」が多いかな。

──僕も大の「コカ・コーラ」好きです。世界各国、どこに行っても飲んでますが、特にメキシコで飲む「コカ・コーラ」が好き。まっ、どこでも飲めるとはいえ、「コカ・コーラ」といえばアメリカ生まれの清涼飲料ということで、今回はアメリカ縛りのインタビューをさせてもらいます。

HF はい。

──ヒロシくんが初めてアメリカ合衆国(以下、アメリカ)に行ったのはいつ?

HF 18歳か19歳の頃。1983年だったと思う。最初、マルコム・マクラーレン(*50’Sリバイバル、パンク・ロック、ニュー・ロマンティックなどのブームを仕掛けてきた人物。セックス・ピストルズを手がけたことでも知られる。ブティック・オーナー、ファッションデザイナーでもある)と一緒にロンドンにいたんだけど、当時、僕もマルコムもヒップホップにどっぷりはまっていて、話題はニューヨークのことばかり。それで、「ニューヨーク、行こうかな」と僕が言うと、彼が「ロンドンはつまらないからニューヨークに行ってヒップホップを見てきたほうがいい」って、その場でニューヨークに住んでいる友人のテリー・ドクターに電話をしてくれて、テリーがニューヨークを案内してくれることになったんです。このテリー・ドクターという人物がただ者じゃなくて、ニューヨークのファッション、音楽業界を広くカバーしているニューヨークの達人でした。

藤原ヒロシさん



──じゃあ、テリーの家に泊まってたんですか?

HF 彼の友達の友達みたいな人のアパートに泊まってた。レキシントン・アヴェニューだったっけな? 「グラマシー・パーク ホテル(*1924年に建てられた古き良きニューヨークのイメージを備えたホテル。2006年に改装された)の近くのアパート。

──1983年のニューヨークって、クラブの黄金期じゃないですか?

HF 黄金期だよね。「ロキシー」「パラダイス・ガレージ」「ディスコ・フィーバー」「エリア」……たくさんあった。

──「パラダイス・ガレージ(*1980年代、マンハッタン区ハドソン・スクエア地区キングスストリートに存在したクラブ。伝説的なDJ、ラリー・レヴァンがプレーしていた。サウンドシステムの音質の高さにも特徴があった)も行ったんですか?

HF 行きましたよ。

野村訓市さん



──この間ニューヨークに行ったんだけど、コニーアイランドに「パラダイス・ガレージ」をつくった人のサウンドシステムが唯一残っている場所を発見したんですよ。ゴーカート場だったんだけど、実際に聴いてみると、実に音がいい。ベース音が跳ねてて、高音がキラキラしてる。

HF ヤンキー的な音だね(笑)。僕が一番行ってたのは「エリア(*1983年~87年までマンハッタン区ハドソンストリートで営業していたクラブ。アンディ・ウォーホルなどセレブリティにも愛された)かな。泊まってたところから近かったのと、一番面白かったから。

ウォーホルバスキア、キース・ヘリング

──当時のニューヨークって、アンディ・ウォーホルジャン=ミシェル・バスキアキース・へリングなど、世界的に有名なアーティストたちが数多く住んでて、面白い時期だったと思うんだけど、どうでした?

HF ニューヨークは、なんか怖かった(笑)。危険感が結構ありました。夜、街を歩いてても睨まれる、みたいな。

──当時は、日本がバブル景気でのし上がり始めてて、アメリカ経済は元気なかったんですよね。

HF でも、今思うと、アメリカ経済の停滞感が、一種の毒だったり、ダークサイドな面やちょっと憂いのある影のようなものをカルチャーやアート作品に加えてた気がする。だから面白かった面はあると思う。最近はカルチャーを、音楽やファッションだけではなくライフスタイル全体で見ていますよね。セレクトショップがコーヒーや家具を扱ったり。僕は、“ポップカルチャー”は一般大衆文化よりもっとおしゃれなもの、ファッションぽいものというイメージを持っています。そして“ポップ”には、毒や憂いが含まれていると思ってる。ただ、最近のカルチャーにはそれが足りない。だからポップカルチャーとしては根付かないんじゃないかな、と思う。


──ポートランド的な(*環境に気配りをし、生活の質を大事にする。大量生産よりもハンドメイド、自動車より自転車や歩行者を優先、地産地消にこだわる……というオレゴン州ポートランドのライフスタイルのこと。このライフスタイルは、“流行”として世界中に伝播した。サードウェーブコーヒーの流行も、同じ文脈の中にある)。

HF (ポートランドのオシャレな若者の)シティボーイ感があんまり好きじゃないかな。

──アメリカ大好きな僕としては、80年代のニューヨークの印象をもっと訊きたいんですが。

HF アメリカとニューヨークは別だと思う。ニューヨークはニューヨークで、それ以外をひっくるめてアメリカというか(笑)。とにかく初めてニューヨークに行くとき、「ニューヨークは面白いよ。世界中の嫌われ者が集まっているんだから」と友人に言われたことを覚えてる。で、実際に行ってみて、なるほど、と思いました。たとえばロンドンとかパリのクラブって、おしゃれで洗練された人たちが集まるけど、ニューヨークのクラブには割と悪趣味な“こんな服着ちゃうの?”っていう人たちが多いというか(笑)。だからこそ、その混沌とした感じが魅力なんだけど。

■アメリカのライフスタイルを伝えた「コカ・コーラ」の広告

──ヒロシくんがDJを引退してもう10年近くになるけど、それこそアメリカのクラブでもバリバリ回してたわけじゃないですか。国によって雰囲気は違いますか?

HF 違いますね。僕が痛感したのは、レコードやCD、ビデオやDVDなどソフトは持ってこられるけど、雰囲気は絶対に持ってこられないということ。ニューヨークのレコード屋でレコードを買って、その曲をニューヨークのクラブでかけて盛り上がって、そのまま日本に持ち帰ってクラブでかけても全然別ものに聴こえた。雰囲気って、音質や踊っている人がつくり出すもので、単に音だけかけてもつくれないんですよ。

──なるほど。

HF それこそ、雰囲気をそのまま持ってこようと企業が躍起になっていたのが70年代、80年代で、中でもコカ・コーラ社は、アメリカから日本へ雰囲気を持ってくることに成功した企業だと思う。「コカ・コーラ」を売るために、広告でアメリカのライフスタイルやカルチャーをそのまま紹介していたと思うから。あの頃は「パルコ」なんかのように、モノだけじゃなくてカルチャーそのものを持って来て紹介、みたいな手法がうまくいっていた。今はそういうのがなくなって、カルチャーの一部分を単体で持ってくるようになった気がする。

──そうですねえ。


HF たとえば《MEN’S BIGI》がイギリスをテーマにしたファッションショーをするんだったら、音楽やファッションはもちろん、イギリスのモデルやクリエイターを20人丸ごと連れてきちゃう、みたいなことをやってたと思うんですよ。


■セレブを虜にするNYのハンバーガー店

──ニューヨークとかロンドンとかロサンゼルスで何か面白いことはない? ってよく聞かれて考えるんだけど、新しいこととか面白いことはあるんだけど、新しいカルチャーはないな、と思うんです。

HF ないと思う。ポップカルチャーも、死んでる。だから、僕らの頃と今の若い子たちとでは音楽との向き合い方も違う気がする。80年代は、パンクがあり、ヒップホップがあり、ハウスミュージックがあった。少し手を伸ばせば、そういう新しいものがあって、そこに向かって「これって何だろう?」と探求することで、また新しい情報と出会えた。手に取れる少し先のものにワクワクできた。だけど、ここ10年、20年の間、そういうワクワクするもの、想像力を刺激するものが生まれていない。今の音楽好きという若い人と話をすると「“はっぴいえんど”が好き」「“YMO”が好き」という人が多いんだけど、なるほどなぁと思う。面白いものを、過去に手を伸ばして探るしかないんだと思います。僕らのときは過去もあったけど、それと同じだけ未来もあった。かわいそうだけど、今の若い人は過去を探るしかない。

──以前は「洋楽派」「邦楽派」に分かれたものだけど、今はそういうのがないんですよね。若い子たちからすると、「ビートルズ」も「山下達郎」も同じ“現代の”音楽。良いものは良い、好きな物は好きって感じで、どこの国の音楽だからクールで、どこの国の音楽だからダサい、というのはない。だから、Made in U.S.Aに思い入れのある子なんていない。

HF どこの国の音楽とか何年代の音楽とか関係なく、すべてがフラットに並んでる。僕は逆に、面白い時代だなぁと思いますよ。

──フードもカルチャーに含まれてくると思うんだけど、ヒロシくんは、訪米したときに必ず行く飲食店ってありますか?

HF ニューヨークだと「Lucky Strike」かな。古き良きアメリカっぽくて気に入ってるのと、《Supreme》のジェームス(*ジェームス・ジェビア。スケートウェアのブランド《Supreme》の創業者)が好きな店だということと、ベジタリアンの僕でも食べられるターキーバーガーがあるから。

──「Lucky Strike」のハンバーガーはうまいですよね。

HF お互いニューヨークに行くことは多いだろうから、こんど待ち合わせしようよ、「Lucky Strike」で。ジェームスも誘って。

──ハンバーガーをパクつきながら「コカ・コーラ」を飲みたいっすね。

(つづく)


ふじわら・ひろし / 1964年、三重県生まれ。fragment design主宰。80年代からDJとして活動し、ヒップホップ、クラブミュージックを中心に自らもステージに立つ傍ら、UAなど人気アーティストのプロデュースも手がける。現在、音楽プロデューサー、アーティスト、ファッションデザイナーなど多方面で独自の活動を続けている。今年、デジタルメディアのRing of Colourhttp://ringofcolour.com )を立ち上げた。




のむら・くんいち / 1973年、東京生まれ。世界のフェスティバルを追ってアメリカ、アジア、ヨーロッパへの旅をしたトラベラーズ時代を経て、99年に辻堂海岸に海の家「SPUTNIK」をプロデュース。また同名で「IDEE」よりインテリア家具や雑誌なども制作。現在「TRIPSTER」の名で幅広くプロデュース業をする傍ら、雑誌などで執筆業も行う。J-WAVEの「antenna* Travelling Without Moving」(毎週日曜20時00分~O.A.)ではナビゲーターを務めている。 www.tripsters.net