2017年の今年、創立60周年を迎える日本コカ・コーラ株式会社
それを記念して、日本コカ・コーラの社史と
清涼飲料「コカ・コーラ」の日本市場における歴史をご紹介する
連載企画の第3回目です。
今回は、どのようにして日本国内で自由に
コカ・コーラ」事業を展開できるようになったのかを見ていきましょう。

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イラスト=宮内大樹

 

戦後の日本国政府は、“先ずは日本の復興と経済成長が第一”ということで、国内産業の保護と国内経済の安定を経済政策の優先課題としていました。そのため、貿易に関しては輸出拡大施策と輸入制限措置がとられており、1959年(昭和34年)の輸入自由化率(*1)は、約30%ほどでした。

*1 全輸入品目のうち、関税がなく自由に輸入できる品目数の割合のこと。

日本におけるコカ・コーラビジネスの歴史 第3回「コカ・コーラ」事業自由化までの道のり

 

しかし、目覚ましい経済成長を遂げていた日本に目をつけた各国は、日本に対し、輸入自由化を強く求めます。

日本におけるコカ・コーラビジネスの歴史 第3回「コカ・コーラ」事業自由化までの道のり

 

そのような中、1960年(昭和35年)に内閣総理大臣に就任した池田勇人氏は、長期経済政策として所得倍増計画を掲げました。その一環として自由貿易の推進にも取り組み始め、1963年(昭和38年)には輸入自由化率92%を達成しています。

日本におけるコカ・コーラビジネスの歴史 第3回「コカ・コーラ」事業自由化までの道のり

 

この自由化の流れにともない、1960年(昭和35年)には、「コカ・コーラ」の原料の一部が輸入外貨資金の自動割当制(*2)品目に組み入れられました。これにより、「コカ・コーラ」の原液を輸入せずとも、原料の一部だけ輸入して、国内で「コカ・コーラ」の原液の製造をすることが可能になりました。つまり、「コカ・コーラ」の製造に必要な外貨資金が従来の数分の一で済むようになり、製造コストも大幅に削減できるようになったのです。

*2 輸入に際して、通産省(現:経済産業省)に輸入量と金額を申請する義務はあるが、原則的に申請通りの輸入が自動的に承認される制度。通称AFA制。

日本におけるコカ・コーラビジネスの歴史 第3回「コカ・コーラ」事業自由化までの道のり

 

同時に、「コカ・コーラ」の販売所に関する規制と、宣伝活動の制限も解除されました。これにより、「コカ・コーラ」事業の実質的な自由化が実現したというわけです。

日本におけるコカ・コーラビジネスの歴史 第3回「コカ・コーラ」事業自由化までの道のり

 

こうして、ザ コカ・コーラ カンパニー(米国本社)が信条としていた、「いつでも、どこでも、誰にでも」に則った「コカ・コーラ」事業の展開が、ようやく日本でも可能になりました。

日本におけるコカ・コーラビジネスの歴史 第3回「コカ・コーラ」事業自由化までの道のり

 

1960年(昭和35年)11月には、日本コカ・コーラが製造した「コカ・コーラ」の原液が、初めて東京飲料株式会社(現:コカ・コーライーストジャパン株式会社)に出荷されました。

日本におけるコカ・コーラビジネスの歴史 第3回「コカ・コーラ」事業自由化までの道のり

 

また、「コカ・コーラ」の製造、販売を行うボトリング会社が、次々と発足していきます。1963年(昭和38年)8月には、ボトリング会社の数は16になり、沖縄を除く全国のエリアを網羅することになります。

日本におけるコカ・コーラビジネスの歴史 第3回「コカ・コーラ」事業自由化までの道のり

 

こうして、「コカ・コーラ」を日本国内で自由に製造・販売するための体制が整いました。次回は、「コカ・コーラ」事業急成長の過程をご紹介します。

 

*以前の記事は、こちらからご覧ください。
第1回 「コカ・コーラ」の日本上陸
第2回 日本の消費者と「コカ・コーラ」の出会い

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