2017年の今年、創立60周年を迎える日本コカ・コーラ株式会社。
それを記念して、日本コカ・コーラの社史と
清涼飲料「コカ・コーラ」の日本市場における歴史を
紐解いていく連載企画の第6回です。
今回のテーマは、「コカ・コーラ」の広告。
1960年代から1980年代までの広告ヒストリーをご紹介します。

(連載第1回から読む)

イラスト=宮内大樹

 

さて、いきなりですが質問です。これはなんだか分かりますか?

 

正解は“あんどん”と呼ばれる、照明付きの看板です。最近では街中で見かけることも少なくなってきましたが、日本コカ・コーラが広告宣伝活動を本格的にスタートさせた1961年(昭和36年)当時は、喫茶店や商店の店先に設置される“あんどん”や、軒上に掲げられるブリキ看板が、製品や会社の認知度向上にとても重要な役割を果たしていたのです。

 

コカ・コーラ社は世界的にも、広告宣伝物に“音”や“音楽”を活用することにしていますが、日本では1962年(昭和37年)に、初のオリジナルCMソングが制作されました。このCMソングは大ヒットし、歌詞の中にある「スカッとさわやか」が、「コカ・コーラ」のキャッチフレーズとして定着していきます。

 

同時に、著名タレントの広告起用も進めていきました。当時の人気No.1映画スター・加山雄三さんとは、1967年(昭和42年)に専属契約を結んでいます。

 

初めて国産カラーテレビが発売されたのは1960年(昭和35年)のこと。カラーテレビは、当初はとても高価なものでしたが、1964年(昭和39年)の東京オリンピックを契機に、徐々に一般家庭にも普及していきました。日本コカ・コーラでは、初の「コカ・コーラ」のカラーTVCMを1968年(昭和43年)に制作、放映しています。

 

時は流れて、1971年(昭和46年)コカ・コーラ社は全世界的に、ロゴマークを変更しました。従来の丸型から四角型へと変わり、白い波模様「ダイナミック・リボン」が使用されるようになりました。

 

そんな1970年代の日本は、経済成長の時代を経て、物質的な豊かさだけでなく精神的な豊かさを追求する時代へと移行する真っ只中にありました。日本コカ・コーラはそのような世相に合わせ、精神的な豊かさを追求する若者を描いた「The Real Life」シリーズや、生活に生きがいを持っている人々の喉の渇きを癒す清涼飲料=「コカ・コーラ」であることを訴える「うるおいの世界」シリーズの広告を展開しました。

 

1980年代の広告は、短いキャッチフレーズに特徴がありました。代表的なものは、「Yes Coke Yes」と「Coke is it!」の二つ。
「Yes Coke Yes」キャンペーンでは、広告キャラクターに森繁久彌さんや矢沢永吉さんといった各界のビッグスターたちを起用しています。「Coke is it!」キャンペーンは、コカ・コーラ社初の世界共通のキャンペーンで、歌と踊りを音楽に合わせた斬新なTVCMが若者たちの共感を呼びました。

 

1980年代の忘れてはいけない大イベントと言えば、1986年(昭和61年)の「コカ・コーラ」誕生100周年記念です。「コカ・コーラ」の故郷、米国ジョージア州アトランタはもちろん、日本でも大々的なキャンペーンを実施。「愛されて、さわやか100年」の100周年記念シンボルマークを入れた、「コカ・コーラ」の記念パッケージとアンティークボトルが発売されました。

 

「コカ・コーラ」誕生100周年の翌年1987年(昭和62年)は、日本コカ・コーラの創立30周年。「コカ・コーラ」ビジネスの第2世紀を迎えるこのタイミングで、広告キャンペーンのテーマを“I feel Coke”に、キャッチフレーズを「さわやかテイスティ」に刷新しています。

 

ここまでの歴史を見ても分かるように、コカ・コーラ社は広告キャンペーンに力を入れています。だからこそ、毎年、数多くの広告を制作しているのです。

本連載の次回、次々回(第7回、第8回)では、「コカ・コーラ」だけではない、コカ・コーラ社製品の多様化の歴史を、2回に分けてご紹介します。

(つづく)

*以前の記事は、こちらからご覧ください。
第1回 「コカ・コーラ」の日本上陸
第2回 日本の消費者と「コカ・コーラ」の出会い
第3回 「コカ・コーラ」事業自由化までの道のり
第4回 事業を発展させた技術革新と営業活動
第5回 「コカ・コーラ」と1964年東京オリンピック

*企業情報ページ(歴史)はこちら