コカ・コーラ」ボトルは、世界で最も有名な製品パッケージだと言えるでしょう。

それを証明するかのように、伝説のインダストリアルデザイナー、レイモンド・ローウィは「コカ・コーラ」ボトルの縦に溝の走る曲線構造のデザインを「液体を包むのに完璧な形状」と評し、それは長年にわたり、美術、音楽、広告などさまざまな分野で脚光を浴びてきました。アンディ・ウォーホルは大衆文化の象徴として「コカ・コーラ」ボトルを描いているし、フォルクスワーゲン社は、1960年代の広告で代表車種「ビートル」のデザインの普遍性を表現するために「コカ・コーラ」ボトルを引き合いに出したほどです。

それでは、「コカ・コーラ」ボトルは、どのようにして誕生し、かくも象徴的な存在となったのでしょうか? 全ての始まりは、今から100年前のあるプロジェクトにありました……。

文=テッド・ライアン


■ きっかけは模造品対策

1899年、テネシー州チャタヌーガの二人の弁護士、ジョゼフ・ホワイトヘッドベンジャミン・トーマスは、「コカ・コーラ」のボトリング(瓶詰め販売)の権利を得るためにジョージア州アトランタに赴きました。二人は、日に日に高まる「コカ・コーラ」の人気に目をつけ、瓶に詰めることでソーダファウンテン(カウンター形式の喫茶店)の外でも「コカ・コーラ」を広く販売できるようにしようと考えたのです(1886年当時のソーダファウンテンでの売り上げは、1日平均10杯にも満たないほどでした。しかし1900年には、米国50州全てで売られるまでに『コカ・コーラ』の人気は拡大しました)。

二人は販売権の及ぶ地理的な範囲が指定された契約書に署名しました。これを契機に、二人はコカ・コーラ ボトリングカンパニーを設立し、ボトリングのフランチャイズ事業を立ち上げます。そして1920年には、米国各地で1,200社を超えるボトリング工場が操業するまでになりました。「コカ・コーラ」の売り上げはソーダファウンテンとボトル販売の両方で伸び続けましたが、人気の高さが災いして、何十もの競合他社が模造品を製造し、消費者に売りつけようとする事態が発生しました。

当時の「コカ・コーラ」ボトルは、直線構造のシンプルな形状をしており、色は茶色か無色透明が一般的でした。全てのボトルには有名な「コカ・コーラ」のロゴが刻印されていましたが、「Koka-Nola」「Ma Coca-Co」「Toka-Cola」「Koke」といった紛らわしい名前を冠した模倣ブランドは、「コカ・コーラ」のロゴをそっくり真似したロゴや少しだけ改変したロゴをボトルにあしらい、消費者を混乱させました。こうした商標権・販売権の侵害行為に対し、コカ・コーラ社は法的措置を講じて対処することに乗り出しましたが、問題解決までに何年もかかることもありました。その間も、ボトリング各社は自分たちの販売権利の保護を求め続けていたのです。

今、明らかにされる
「コカ・コーラ」ボトル誕生の舞台裏

ザ コカ・コーラ カンパニー(米国本社)で
ヘリテージ・コミュニケーション部門を統括する筆者のテッド・ライアン


■ ボトル開発プロジェクトが始動

1906年、ボトリング会社の販売権利を保護する第一歩として、コカ・コーラ社はカラフルな商標を配した菱形のラベルを導入しました。これは模造品との差別化を図るためのものでしたが、一つ欠点がありました。当時、「コカ・コーラ」は氷水の入った樽の中で販売されることが多く、水の中ではラベルがはがれてしまったのです。さらに、ラベルまでそっくり真似する競合他社も出てきました。

1912年、コカ・コーラ ボトリングカンパニーは傘下各社への通知の中で、「コカ・コーラ」は独自のロゴを有しているものの、それだけでは販売事業を保護できないことを告げました。そして、全てのボトリング会社の協力の下に「オリジナルのボトル」の開発を提案します。コカ・コーラ社では、首席弁護士であるハロルド・ヒルシュとともに、オリジナルのボトルを開発する適切な方法が話し合われました。ヒルシュは1914年に、ボトリング各社に対して熱意あふれる呼びかけを行っています。

「私たちは、『コカ・コーラ』というブランドをいま現在のためだけに築いているのではありません。私たちは永遠に続く『コカ・コーラ』ブランドを築いていくのであり、『コカ・コーラ』が未来永劫、国民的な清涼飲料であり続けることが願いなのです。コカ・コーラ社及びボトリング各社の経営陣は、自分たちの子どもとも呼べるようなボトルを生み出すために、相当な費用をかけてできる限りのことをしています。オリジナルのボトルが誕生した暁には、どうか、ボトルを変更することによるコスト負担にばかり目を向けるのではなく、このボトルの導入こそが、みなさん自身の販売権の確立に寄与するのだということを覚えておいてください。販売の権利が守れるかどうかは、ボトルの開発とその利用に協力できるかどうかにかかっているのです」

1915年4月26日、コカ・コーラボトリング協会は「コカ・コーラ」オリジナルのボトルの開発に500ドルの予算を配分することを決定しました。そして、米国各地にある8~10社のガラス業者に「暗闇で触れても地面に砕け散っていてもそれと分かるような特徴的なボトルの開発」というシンプルな条件を記した提案書を送り、ボトルデザインを選ぶためのコンペが開かれました。