■ デザインのもとになったのは、「カカオ豆」!?

コカ・コーラ社からの提案書を受け取ったインディアナ州テレホートのルート・グラス社は、さっそく作戦会議を開きました。ルート・グラス社のチームのメンバーは、
C.J・ルートウィリアム・ルートアレクサンダー・サミュエルソンアール・ディーン
クライド・エドワーズで、開発の現場主任を務めていたスウェーデン移民のサミュエルソンは、ディーンエドワーズに地元の図書館へ行ってアイディアソースを探すよう指示しました。

ディーンエドワーズは、あらゆる文献を調べました。そして、丸みを帯びた細長い形に溝の走る構造のカカオ豆のイラストを見つけ出します。これこそが目指す形だと閃いたチームは、「コカ・コーラ」を入れるボトルとして最適な形状となるよう、デザイン化に磨きをかけていきました。ディーンは分厚いリネン紙にその特徴的な形を丁寧にスケッチし、サミュエルソン主導のもと、数本のボトルのサンプルが製作されました。

ルート・グラス社サミュエルソンの名義でボトルの意匠登録を申請し、1915年11月16日に承認されました。興味深いことに、意匠登録の申請時には、ボトルデザインに「コカ・コーラ」ロゴの刻印は入っていませんでした。これはデザインの機密と最終顧客であるコカ・コーラ社を保護するための判断でした。

1916年初頭、ボトルのデザインを決定するため、ボトリング各社とコカ・コーラ社の幹部からなる委員会が結成されます。各社の提案の中で、ルート・グラス社のデザインが勝っているのは誰の目にも明らかでした。結果、コカ・コーラ社ルート・グラス社は契約を結び、米国各地のガラス企業6社でこのボトルが製造されることが取り決められました。

契約の中で、ボトルの色は「ジャーマングリーン」と呼ばれる色に指定されていましたが、この色はその後、コカ・コーラ社の本社所在地にちなんで「ジョージアグリーン」と呼ばれるようになります。さらに、ボトルの底にはガラス工場の所在都市が刻印されることになっていました。この都市名の記載は消費者の興味を掻き立てたようで、何世代にもわたって、子どもたちは誰のボトルが一番遠くから来たものなのかを競い合って遊びました。また、ボトルに使われるガラスの重量は最低14.5オンス(約411グラム)と指定されていたため、中に「コカ・コーラ」6.5オンス(約184グラム)を詰めると、全体で600グラム近くの重さになりました。




■ そして、誰もが知る存在へ

コカ・コーラ」ボトルの製造は1916年初頭に始められたものの、全てのボトリング会社がただちに使用ボトルを切り替えたわけではありませんでした。多くのボトリング会社にとって、ボトルの変更はコスト負担が大きく、変更に踏み切るには株主や経営陣が十分に納得できる根拠が必要だったのです。そのことを認識したコカ・コーラ社は、全国的な広告で新しいオリジナルボトルを大々的に打ち出し、1918年にはボトルが登場するカレンダーを広く配布しました。このようにして国民の間に新しいオリジナルボトルの認知度が高まってくると(1920年ころ)、ほとんどのボトリング会社が「コカ・コーラ」ボトルを製造するようになっていきました。

1923年には、「コカ・コーラ」ボトルが改めて意匠登録されました。当時の米国特許庁では毎週火曜日に意匠公報を発行することが慣習となっており、その年の12月25日は火曜日にあたっていました。そのため、新たに登録されたボトルの側面には、1923年12月25日という日付が入ることになったのです。このボトルはすぐに、「クリスマスボトル」という愛称で消費者に親しまれるようになりました。

意匠登録の有効期間は14年(ボトルの意匠は1937年に再度更新されました)で、1951年にはボトルのデザインに関するすべての登録が期限を迎えていました。コカ・コーラ社は特許庁に対して、「コカ・コーラ」ボトルの形状と「独自の曲線構造」は一般的に広く認知されており、商標として認められるべきだと主張しました。当時製品パッケージが商標として認められるのは極めて異例のことでしたが、1961年4月12日、「コカ・コーラ」ボトルはついに商標登録がなされます。この決定の裏付けとなったのが、「コカ・コーラ」をボトルの形状で見分けられないのは米国国民全体の1%未満という数値が出た、1949年の調査結果でした。




■ 進化を続ける「コカ・コーラ」ボトルのデザイン

ここまでは、「コカ・コーラ」ボトルが完成するまでの歴史を追ってきました。それでは、このボトルはどのようにして大衆文化において唯一無二の存在となるに至ったのでしょうか?

100年にわたる歴史の中で、「コカ・コーラ」ボトルはさまざまな愛称で呼ばれてきました。よく知られているものの一つが「ホブルスカート・ボトル」です(ホブルスカートは1910年代に流行したもので、裾がひざ下で極端に絞られたスカートを指します)。他にはセクシーなスタイルで知られた女優にちなんで「メイ・ウエスト・ボトル」とも呼ばれました。ちなみに、ボトルの曲線を表す「コンツアー」という表現が初めて使用されたのは、1925年に発売されたフランスの「La Monde」という雑誌の記事中でのことでした。

その形状が世界的に認知されている「コカ・コーラ」ボトルですが、実は、時を経て少しずつ変更が加えられています。1915年に最初に意匠登録されたボトルは、実際に製造されたものよりもわずかに太いデザインでしたし、現在普及しているアルミ製ボトルは、象徴的なデザインの22世紀バージョンとでもいうべきものです。1955年に従来よりも大型のキングサイズとファミリーサイズが導入されたときには、レイモンド・ローウィ主導の下、デザインのバランスを維持しつつ新たな鋳型がつくり出されました。コカ・コーラ社の1996年のアニュアルレポートにはこのボトルのシルエットが掲載され、“Quick, Name a Soft Drink.” というコピーによって誰にでも分かるその形の普遍性が示されました。




■ アート界でもスター級の存在

コカ・コーラ」ボトルをアートに取り入れたことで最もよく知られている人物といえば、おそらくアンディ・ウォーホルでしょう。また、史上初めて「コカ・コーラ」ボトルを描いた著名な画家はスペインのサルバドール・ダリで、1943年の「アメリカの詩」という油彩画の中でそれを見ることができます。1940年代後半には、スコットランドの画家エドゥアルド・パオロッツィも「コカ・コーラ」ボトルを描いていましたし、米国の美術家ロバート・ラウシェンバーグは、1957年の彫刻作品「コカ・コーラ・プラン」に実物の「コカ・コーラ」ボトルを取り入れました。

しかし、芸術界で「コカ・コーラ」ボトルの位置づけが不動になったきっかけは、1962年のウォーホルの展覧会「The Grocery Store」で「コカ・コーラ」を取り入れた彼のアート作品が展示されたことでした。1975年に出版されたウォーホルの自伝『アンディ・ウォーホルの哲学』には、大衆文化の象徴として「コカ・コーラ」ボトルを選んだ理由が記されています。

「アメリカという国の素晴らしいところは、最も裕福な消費者が最も貧しい消費者と同じ商品を買うという伝統を生み出したことだ。みんながテレビで『コカ・コーラ』を見て、大統領が『コカ・コーラ』を飲み、リズ・テイラーが『コカ・コーラ』を飲み、そして自分たちも『コカ・コーラ』を飲むことができると分かっている。コークはコークであり、いくら金を払っても街角の浮浪者が飲んでいるのより良いコークを買うことはできない。すべてのコークは同じで、すべてのコークはおいしい。そのことを、リズ・テイラーも大統領も、一般大衆も、そして街角の浮浪者だって知っている」

2015年、「コカ・コーラ」ボトルは初めて意匠登録をした年から100周年を迎えました。キンキンに冷えたさわやかな「コカ・コーラ」を楽しむのに、今も昔もこれ以上ふさわしい形状はありませんね。