文=速水健朗

東京、ニューヨーク、ポートランド、ロンドン、シンガポール。
世界主要都市の通勤事情をライター/編集者の速水健朗さんが徹底リサーチ、
通勤=全世界の5億人が参画する生活運動だからこそ表れる
お国柄やお国の事情を読み解きます。
自ら企画を立て、自ら取材をして記事化していく
Coca-Cola Journey』ライターチームによるオリジナル企画第2弾です。

 

■通勤困難都市、トーキョーのいま

 かつて、東京の通勤ラッシュは世界的に有名だった。駅員が乗客のお尻を満員電車に押し込む様子は、高度経済成長期の日本を象徴する光景とされていた。その後、車両や鉄道本数の増強、時間差通勤の普及、ホームドアの設置などによって電車の混雑状況はかなり改善された。1970年代には、電車の平均混雑率が220%を超えていた時代もあったが、現在では160%台(*平成27年度164%)に抑えられている。ただし、これはあくまでも混雑率の数字だけを見た場合の話である。

 通勤ラッシュ時の混雑が改善されたとはいえ、東京がいまだに通勤困難都市であることに変わりはない。東京都内の平均通勤時間は、総務省統計局の『社会生活基本調査』によると1時間30分(往復)、つまり、仕事場までドア・トゥー・ドアで45分になる。ちなみに通勤通学時間ランキング1位は神奈川県で1時間40分。次いで千葉県、埼玉県が1時間34分となる。

通勤困難都市「東京」の現在位置を探る。速水健朗が読み解く「世界各国通勤事情」

上京して新生活を始める学生や社会人はみな、
通勤ラッシュの洗礼を受ける。
都会人になるための通過儀礼だ。
(東京23区の人口は925万6,625人。総面積は626.70平方キロメートル<2016年>/東京都公式HP)

 「東京圏」での生活はそれ以外の地方都市に比べて、たいへんなのだ。電車の混雑率が改善されても、そもそもの平均通勤時間は減っていないという統計もあるくらいだ。通勤のたいへんさは、都会で暮らす便利さと引き替えにのしかかるものなのだ。

 とはいえ「通勤」は東京固有のものではない。自宅と職場の間を交通機関で移動する行為=通勤は、世界の5億人が参画する生活運動である。世界の都市の通勤事情は東京と比べてどう違うのか。そこに迫ってみたい。

 

■ニューヨークとポートランド。自転車通勤の最先端

 「都市別平均通勤時間<片道>の国際比較」(平成24年度首都圏白書)という資料によると、東京の人々が片道にかける平均通勤時間は「約69分」ということになっている。さっきの数字とは違うが、通学が含まれない数字であるからなのか、ここではこのような結果になっている。ロンドンの平均通勤時間は約43分。さらにニューヨークでは約40分、パリでは約38分という結果が出ているから、これら世界の都市と比較をしてみても、東京は世界に冠たる通勤困難都市ということが分かる。

 ただ、これらの数字は、各都市の通勤の一側面に過ぎない。そこで暮らす人たちの声を聞くと、もっと具体的な通勤事情も見えてくる。

 ニューヨーク。この街では、地下鉄、自動車通勤以外に、フェリーを使った通勤風景を見ることができる。映画『ワーキング・ガール』(1987年)では、主人公のキャリアウーマンがスーツにスニーカー姿でフェリー通勤し、オフィスでヒールに履き替えるという場面が描かれて話題を呼んだ。ただ、それは過去のお話。

通勤困難都市「東京」の現在位置を探る。速水健朗が読み解く「世界各国通勤事情」

大都会での通勤手段として定着した感があるのが「自転車」。
環境にやさしく、渋滞にも巻き込まれず、健康にも良い、の良いことずくめだ(上)。
利用者の数が減少傾向にある地下鉄。今後は「通勤の足」としてではなく、
「観光客の足」として生きていくのか?(下)
(ニューヨーク市の人口は850万405人。総面積は786キロ平方メートル<2016年>/ニューヨークビズ!より)
(ポートランド市の人口は約63万2,309人。総面積は約376平方キロメートル<2015年>/2015年米国勢調査)

 ニューヨークの最新通勤事情で特徴的なのは、ずっと利用者増が続いていた地下鉄の利用者がここにきて微減しているということ。考えられる理由はいくつかありそうだが、配車アプリが地下鉄と競合状態にあり、タクシーを利用した通勤スタイルが普及しつつあるということが挙げられる。いまどきのワーキングガールは、フェリー通勤ではなくタクシー通勤なのかもしれない。

 それ以外には、バイクシェアプログラムの「シティバイク」が通勤に使われるケースも増えているようだ。アメリカで自転車の街として知られるのは、オレゴンのポートランドだが、2016年発表のアメリカの自転車都市50傑を見ると、オレゴンよりも上位にシカゴとサンフランシスコが入り、ニューヨークも4位と検討している(2014年には1位に輝いたこともある)。同時に、自転車専用レーンもこの10年で急速に拡張中。自転車通勤は、見慣れたものになりつつある。

 

■「終電」意識のないロンドン。「終電」抑止力が働く東京。

 ここからは少し、通勤つにいてだけではなく、ライフスタイルにも絡めつつ述べてみたい。

 利用者が減少したとは言え、ニューヨークの地下鉄は、24時間動いている。つまり終電がない。とはいえ、いまどきのニューヨークは健康志向が強く、ナイトクラブや終夜営業のレストランはかつてほど流行ってはいない。生活全般が朝方になっているのだ。

 ニューヨークの地下鉄はラッシュ時には混雑するが、日本のように、車内がぎゅうぎゅう詰めだろうが無理矢理乗ってしまおうという感覚はないようだ。混んでいる場合は1本待つという行動が定着しているのだ。これは、地下鉄が通勤に使われるロンドンでも同じだという。

 ロンドンには、トンネルの形状が似ていることから、“チューブ”と呼ばれる地下鉄網があり、多くの人々の通勤に使われている。ただし、運賃はかなり高目。なので、庶民的な通勤手段として人気を集めているのはバスだ。バスは混雑時には専用レーンを走るので、運行時間の正確性も高いという。

通勤困難都市「東京」の現在位置を探る。速水健朗が読み解く「世界各国通勤事情」

ロンドン市民の通勤時の足として活用される「バス」。
混雑時には専用レーンを走るので、時間の正確性も担保されている
(ロンドン市の人口は約860万人。総面積は約1577平方キロメートル<2015年>/CNNニュース

 ロンドンのチューブもニューヨークのように、24時間運行が2016年よりスタートしている(週末のみ)。当然のことながら、通勤には、出勤だけではなく帰宅のための移動も含まれる。働き蜂の日本人にとって「終電」の発車時刻は、働き過ぎの抑止力にもなっているわけだが、ロンドンで暮らす人々に「終電」の感覚はあるのだろうか。ロンドン在住の友人に聞くと次のように返ってきた。

 「日本のように、終電で帰るという習慣は基本多くはないです。もちろんロンドンのビジネス街であるシティには遅い時間まで電気が点いているビルもあるけど、日本からの駐在員なんかは“日本に比べたら遅い部類に入らない”という感じです。“社畜”という言葉は、ここには存在しないような気がしますね」

 通勤という行動そのものは万国共通でも、「終電」を意識する通勤事情とライフスタイルは、東京独特なものなのかもしれない。これは、1時間が当たり前というくらい広大な東京通勤圏が生み出したものと考えるべきか。誰かの「そろそろ終電が……」のひとことで解散に向かう東京の飲み会は、「終電」が働き過ぎの抑止力のみならず、飲み過ぎの抑止力にもなっていることを示している。

 

■通勤しやすい都市シンガポールのカラクリ

 さて、再びロンドン。この街でも自転車通勤は一般化しているという。自動車用の道路から隔離された「サイクルスーパーハイウェイ」の敷設も次々と進められている。自転車といえば、東京も、2016年2月から自転車シェアリングの実証実験をスタートさせているが、まだこれを通勤に利用しているという話は聞こえてこない。ただし、東京で自転車を通勤に使う人は増えている。従来、都心にオフィスを構える企業の中には、自転車通勤を禁止するところも多かったが、IT企業などには、自転車置き場をオフィス内に設置するなど、自転車通勤を推進する動きも生まれているのだ。

 「通勤時間」や「交通インフラ」は、都市の魅力に直結する重要な指標と考えられている。世界最大のプロフェッショナルファームPwCwww.pwc.com/jp)が発表する「世界の都市力比較2016」では、世界の大都市30都市が比較されているが「交通・インフラ」部門で1位となっているのがシンガポール。「住居」「交通渋滞」「通勤のしやすさ」でシンガポールが高ポイントを獲得しているのに比べて、東京は「交通渋滞」「通勤のしやすさ」での低評価が影響し、ミラノ、クアラルンプールに次ぐ13位にランクしている。

 ただし、その実体はどうか。シンガポールは、交通渋滞を減らすために、すべてのクルマに車載器の搭載が義務づけられ、ERPという電子道路課金制度が実施されている。これは、通行量の多い道を選んだドライバーから高額の料金を徴収するという渋滞緩和の高度なシステムである。確かに混雑を解消するにはうってつけだが、多大なコストがかかっている。そもそもシンガポールではクルマを所有する際のコストが日本に比べても遙かに高い。シンガポールの通勤は、高いコストを支払うことのできる富裕階層にとっては天国だが、労働階級にとってはそうではない。移民などの労働階級の通勤時間は、1時間半というのもざらのようだ。それに比べると東京の通勤は民主的だ。

(シンガポールの人口は約561万人。総面積は719平方キロメートル<2016年>/日本国外務省HP)

通勤困難都市「東京」の現在位置を探る。速水健朗が読み解く「世界各国通勤事情」

鉄道の登場は、人の生活を変えた。
そして、「通勤困難都市」をつくった。
これから私たちの「通勤」は、どうなっていくのだろう……

 通勤は、世界で5億人が参画する生活運動である。そもそもは、鉄道の発明と同時に「通勤」というライフスタイルが生まれた。鉄道会社がレールを敷き、沿線を宅地化したことによるによる社会の改善点はたくさんあった。たとえば住む場所の選択肢が増え、中間層に位置する人々でも、頑張れば自宅を持つことができるようになった。

 また、ひとくちに通勤と言っても、それが長時間のものであったり、ラッシュアワーが重なったりしてしまうと苦痛なものになってしまうが、これも、数々の工夫によって解消されてきた。

 世界の都市では、テクノロジーの発展やライフスタイルの変化に伴って、新しい通勤のあり方が生まれつつある。東京が通勤困難都市から抜け出るためのヒントは、これらの中にこそ、見出せるのかも知れない。

 

・参考文献/『通勤の社会史』イアン・ゲートリー太田出版

 

<プロフィール>
はやみず・けんろう / 1973年生まれ。ライター・編集者。食や政治、都市、ジャニーズなど手広く論じる物書き。たまにラジオやテレビにも出演。「団地団」としても活動中。近著『東京どこに住む? 住所格差と人生格差』(朝日新書)、『東京β』(ちくま書房)など。TOKYO FM速水健朗のクロノスフライデー』(毎週金曜日6:00〜9:00)パーソナリティ。
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