オリンピックに出たい!

 北島が過ごした少年時代、1990年代前半の日本は様々な誘惑に満ちていた。野球は毎日のようにテレビで中継され、小学5年時にはサッカーのプロリーグ「Jリーグ」が開幕。テレビゲームが各家庭に浸透し始め、人気マンガ誌ではいくつものスポーツ漫画が大ヒットを記録した。オリンピック競技とはいえ水泳にはプロの世界はなく、どちらかと言えば地味なスポーツに過ぎなかった。
 それでも北島は、他の競技には目もくれずに水泳に没頭した。小学生時分からメキメキと頭角を現し、全国大会に出場。オリンピックに出場するという夢を持ち始めたのも、この頃のことだった。
──北島さんほどの運動神経があれば、他のスポーツに対する興味もあったのでは?
北島 確かに、「野球をやりたい」と思う時期もありました。でも、単純に時間がなかった。自分は水泳が得意なんだということを物心ついた頃から感じていたので、他の競技にハマる時間も余裕もありませんでした。テレビゲームもほとんどやらなかったし、テレビもあまり見なかったですね。だから、友だちとの会話についていけないこともよくありましたよ。
──それって、子どもながらにすごく切なさを感じるのではないかと。
北島 いや、たぶん、みんなも理解して気を遣ってくれていたんだと思います。僕は体育の先生よりも泳ぐのが速かったし、全国大会に行くことになって、みんなが応援してくれるようになった。ただ、大きな大会が行われるのは夏休みだから、活躍する姿をみんなに自慢するチャンスはなかったですね(笑)。でも、だからこそ学校生活と水泳の両方を楽しめたんだと思います。学校で遊ぶ。水泳で頑張る。そういうメリハリがあって、すごくいい時間でした。
スペシャルインタビュー
北島康介
「だから僕は、子どもたちに夢を語る」

──ちなみにクラスでは、どんな子でした?
北島 どちらかと言えば、中心にいる子だったと思います。でも、授業中は空気のような存在(笑)。そういう小学生、いるじゃないですか? つまり一般的な小学生ということなんですけど。
──分かります。でも、後にトップアスリートとなる選手は、子どもの頃から文武両道だったというケースが多い気がします。
北島 うーん、僕の場合は違うかもしれませんね。まあ、小学生の頃から塾に通わされていたので、勉強には拒絶反応を示しながらもそれなりの時間を費やしていたかな。そう考えるとハードでしたね。学校に行って、トレーニングして、塾で勉強して。
──水泳について、挫折経験はなかったんですか?
北島 ないですね。そもそも「挫折」って、心が折れて続けられなくなることですよね。そういう意味では、今もまだ続いているから挫折経験はない。子どもの頃から前向きな性格だったんですよ。ケガをして目標としていた大会に出られなくても、「休めるからいいや」と思えるような。
──そういう性格がアスリートとしてプラスに作用したと思えますか?
北島 それは分かりません。人や競技によって違うと思うし、成功例を型にハメて考えることはできないと思うんですよ。個性を大事にしなきゃいけないとは思うし、その個性を自分自身で感じて、成長するために努力しなきゃいけないとも思います。例えば、長所を伸ばすべきか、短所を消すべきかという問題の答えは、その選手の個性によって違いますよね。
──北島さんの場合は?
北島 僕はもともとポテンシャルが高い選手じゃなかったので、小学生の頃は同級生にも、女の子にも負けまくっていました。だからいきなり強くなったわけではなくて、負けて悔しい気持ちを持ったり、勝ちたいと思ったり、そういう気持ちを力に変えるタイプだった気がします。少しずつ身体が大きくなっていくにつれて、気持ちと努力を力に変えられるようになっていったというか。
──その頃にはもう、オリンピックを意識していたのでしょうか?
北島 そうですね。小学生の頃には意識していました。オリンピックに出たいという夢は、当時から持っていましたね。
──明確で現実的なものとして?
北島 いや、本当に出られるとは思っていないけど、夢って、とてつもなく大きいじゃないですか。水泳を真剣にやっている自分が水泳でオリンピック出場選手になりたいと思うのは自然なことで、そこに「絶対になってやる!」という強い意志があったかどうかは分かりません。いや、そこまでの気持ちは、たぶんないですよね。野球をやっている子が「野球選手になりたい!」って言うのと同じだと思いますよ。子どもが抱く夢。でも、思いの強さは別として、そうなりたいと思っていたことは間違いないと思います。