オリンピックにたどり着くための原動力とは

 中学に進学した北島は、東京SCで以後の水泳人生をともに歩むことになる平井伯昌コーチと出会った。
平井コーチの存在は、僕の水泳人生の中で大きなポイント。一緒に階段を上っていける、一緒につくり上げていくという存在でした」(北島
 泳ぐスピードを追求するほど、トレーニングの厳しさは増した。北島にとって「夢」はいつも「雲の上の世界」で、そこに本気で向かうほど直面する壁も高くなる。それでも、彼が泳ぐことをあきらめたことはない。その原動力となったのは、「泳ぐことが好き」という純粋な気持ちと、子どもながらに感じていた「反発心」だった。
──オリンピックという夢が見えてきた時点で、北島少年はそれに向かって一心不乱に突き進めるエネルギーを持っていたのでしょうか?
北島 なかったと思いますね。水泳はあくまでアマチュアスポーツで、野球やサッカーのようにプロの世界があるわけじゃない。オリンピックという頂点の大会があるだけで、「水泳でメシを食えるように」という感覚を持つことができたわけではないので。
──であればなおさら、続けることのハードルは高いように思えます。
北島 確かにそうですね。そう考えると、やっぱり、本当に好きだからこそ続けることができたんだと思います。僕はただ泳ぐのが好きで、その気持ちは今でも持ち続けているし、何よりも大切なことだと思う。もちろん子どもの頃もそうだったと思うんですけど、あの頃の記憶って、大人になればいくらでも上書きできるじゃないですか。
──というと?
北島 今の感情から振り返って当時のことを語ると、どうしてもそれっぽく聞こえるような言葉になってしまう。でも、きっと当時は、ただ勉強が嫌いで、それを避けるためには水の中に入るしかなかったというのが本当のところだと思うんですよ。
スペシャルインタビュー
北島康介
「だから僕は、子どもたちに夢を語る」

──確かに、もしかしたら誰もがそうかもしれません。
北島 ウチは肉屋で、僕は肉屋のせがれ。両親は僕が肉屋を継ぐことにならないように、勉強して、大学に行ってほしいという思いを持っていたと思うんです。その影響で早くから塾に通わされて、子どもならではの当然の反応として「イヤだなあ」と思っていました。僕は小さな頃から人に何かを強要されるのがすごくイヤだったから、反発して水泳に没頭したところもあります。そういう感情だけは、よく覚えているんです。
──最初の原動力は、反発心だった。
北島 そういうことかもしれないですよね。もちろん、オリンピックに出場するという夢は持っていました。オリンピックで日本の選手が活躍するのを見て、本当に、純粋に、カッコいいなって思っていましたから。「自分もいつかああなりたい」って。でも、そういう気持ちはある意味では現実離れしていて、やっぱり雲の上の世界のことなんですよ。憧れや夢だけじゃ、パワーとしては足りない。自分で努力して、一つずつステップアップしていかないと、そこにはたどり着けないと思うんです。きちんと目標を持って、それをクリアしていくことができたから、雲の上の世界にたどり着くことができたんだと思う。