2016年 リオデジャネイロオリンピック、
そして、2020年 東京オリンピックに向けてオリンピックムーブメントを推進する
コカ・コーラ・チーフ・オリンピック担当・オフィサー」に就任したばかりの北島康介さん。
彼の過去・現在・未来に迫る特別インタビューです。


文=細江克弥
写真=前康輔

 

■「やりきった」。残ったのは清々しい気持ちだけ

 もう1度、オリンピックの舞台に立ちたい──。
 その強い思いはついに叶わず、北島康介はすべてを捧げてきた競技生活に自ら幕を下ろした。
 4年に1度の大舞台、オリンピックで獲得した金メダルは4つ。幼少期からその成長を見守ってきた平井伯昌コーチは、「ずっと日本のトップで、世界のトップで、誰もが憧れる選手になってくれた」と称えて涙を見せ、教え子もまた、自分のために泣いてくれる人を目の前にして、思わず感極まった。
 あれから数ヵ月。スーツに身を包んだ北島は、相変わらず忙しく、あちこちを飛び回っている。彼にとって、オリンピックとはどのような舞台だったのか。「コカ・コーラ」とともに競技人生を歩み、新たな立場でこれからも「コカ・コーラ」とともに歩み続ける北島に、自身の過去と今、そしてこれからのことについて聞いた。

──4月の日本選手権終了後に現役引退を発表されてから、少し時間が経ちました。テレビ出演などの際には「表情や雰囲気が柔らかくなった」と言われることもあるようですが、ご自身ではどう感じていますか?

北島 みんな、やめたから好き放題に言っているだけですよ(笑)。ただ、最後のレースについては、ダメだったことをきちんと受け入れる“箱”は持っていたんです。だから、引退することは寂しかったけど、清々しい気持ちで終われたという実感はありました。そういう部分が、僕を見るみなさんの目に映っていたのかもしれませんね。

──その清々しさは、“心から”のものと言える?

北島 そうですね、もう、「悔しい」を通り越して出てくる感情ですよね。そもそも「悔しい」という気持ちって、“次”があって初めて湧いてくると思うんですよ。もちろん、オリンピックに行けないという事実に対する悔しさはありました。でも、それを通り越して、「やりきった」という気持ちのほうが強かった。

──最後のレースは、負ければ引退という状況で行われました。競技人生の“終わり”に対する恐怖心もあったのではないかと思うのですが。

北島 いや、それはなかったですね。恐怖心をなくすためのトレーニングをしてきたし、怖かったら、あの場にはいなかった。たとえ何が起きても、すべてを受け止められるという覚悟はありました。大前提としてあったのは、負けて引退するための舞台ではなく、あくまでもオリンピックに行くための舞台だったということ。だからこそ、自分の引き際として「やりきった」と思えるレースができた気がします。

──引退後も、忙しい毎日を過ごされていると聞きました。

北島 うーん……。やっぱり、思っていたよりも忙しいですね。引退直後はメディアに出演させてもらったり、お世話になった人にご挨拶させてもらったり。そういう予定は引退直後から頻繁に入っていたので、水に入る時間も、トレーニングする暇もなかったんですよ。だから、身体がどんどん緩んできちゃってね(笑)。

 

■オリンピック以上に興奮する場所はない

──北島さんは「もう1度オリンピックに出たい」と言い続けてきました。そこまで夢中になれるオリンピックの魅力は、どこにあったのでしょう。

北島 4年に1度というサイクルが、「特別な舞台」としての魅力を高めている気がします。あそこは“世界”が本気で勝負しにくる場所で、メダルは、4年間必死になってきた人たちが心から「ほしい」と思うもの。僕はそういうところに魅了されたし、4つも金メダルを獲らせてもらいましたけど、それでも「もう1度」と思えるほど興奮させてもらえる。だからこそ、トライし続けられたんだと思います。

──他の大会とは、まったく違う“特別感”がある。

北島 「あの舞台に立てる」というだけで興奮できる大会は、オリンピックだけです。はっきり言って、大会が持つ華やかな雰囲気はどうでもいいんですよ。自分が高めてきたことを出せることのほうが大切で、あそこでは、自分が築き上げてきたもの、競泳人生そのものを表現することができる。そういう場所なんです。

──ただ、4年という歳月をかけて「築き上げてきたもの」を表現することは、決して簡単ではない気がします。

北島 そのときの調子は、当日になってみないと分かりません。実際に水に入って、予選を泳いでみて初めて、「今日の自分はどれだけやれるか」を確認できる。メンタル的な要素は大きいですよ。たとえば、オリンピックの選考会では超えなきゃいけない記録が100分の1秒の単位で決まっていて、それがメンタルを揺さぶる要素になる。フィジカルの調子が良くても、メンタルで負けて前に進めないこともありますよね。

──“勝負”が懸かった試合ともなれば、フィジカルとメンタルのバランスを取る難しさはさらに高まる。

北島 そうそう。たとえばオリンピックの場合、初めて出場する人はみんなテンションが高いですよね。だからこそ、結果に対して考えさせられることも多い。そこで何を感じられるかがすごく大切で、出場したことで満足するのか、メダルを獲ったことで満足するのか、その基準をどこに設定するかによって、“その後”が大きく変わってくる。

──北島さんの場合、ある意味、何を達成しても満足しなかった。

北島 僕の場合は、うまい具合に次のレールに乗せてもらえたんですよ。五輪に出場したら、次は金メダル、次は連覇という感じで、大きな目標が途切れなかったし、周りがそういう雰囲気をつくってくれた。だからこうして長く泳がせてもらったし、自分で自分を超えるという挑戦を続けられたんだと思います。

──17歳のときに初めて出場した2000年 シドニーオリンピックは、100m平泳ぎで4位という結果でした。

北島 若くて、勢いがあって、出場できることに喜びを感じて、「金メダルを獲る」という強い意識もなく、「あそこで勝負できる」という気持ちだけで臨んだ大会でした。でも、負けて帰ってきて、「メダルって、すげーんだな」と強く感じた。メンタル的には、まだまだ子どもだったと思います。

──もし、あのとき、メンタル的な部分が成熟していたら、技術的には17歳の自分でも金メダルを獲れたと思いますか?

北島 “たられば”があまり好きじゃないので、はっきり言うのは難しいですね。ただ、ふとしたときに、「もしシドニー大会*1で銅メダルでも獲ろうものなら、もっと調子に乗ってダメになっていたかもしれない」と思ったことはあります。だけど、シドニー大会*1の4位という成績もそうだし、今回の引退レースもそう。“たられば”で考えるものではなく、僕にとっては一つの思い出なんですよ。だから、すべてのことに対して「良かった」と、そう言い切りたいんです。

 

■練習はダメでも試合は勝てる。いつも、そう思ってた

──以前のインタビューでは、「シドニー大会*1に出場したことで、オリンピックが“夢の舞台”から“現実的な目標”に変わった」と話していました。

北島 シドニー大会*1を経験して、「金メダルを獲るチャンスがある」と、より現実的に考えられるようになったことが大きかった。空想の中での大きな目標って、何の役にも立たないんですよ。そこに自分が近づいて、よりリアルに感じることで、初めて本気で掴みにいける。シドニー大会*1からアテネ大会*2までの4年間はとても苦しかったし、本当に長かった。でも、本当に素晴らしい時間だったと思います。

──単純な疑問として浮かぶのは、「金メダル」という大きな目標を、さらに上回る「2種目制覇」という形で成し遂げてなお、なぜ“次”を目指すことができたのかということです。

北島 僕らにとっては、オリンピックしかないんですよ。普段の生活であれだけの興奮を味わえることって、まずあり得ませんから。だから、もしオリンピックが毎年あって、あの興奮を1年に1回も味わっていたとしたら、僕の選手寿命はもっと短かったでしょうね。

──なるほど。

北島 浮き沈みはあります。テンションが上がらないときだって、もちろんある。でも、“4年後”が近づくほどに目標がリアルになるし、自分のダメなところもはっきりと分かる。アテネ大会*2から北京大会*3までの4年間は、そういう自己分析が少しずつできるようになってきた頃かもしれません。個人競技で過去の自分を超えるためには、新しいことにもチャレンジしなきゃいけない。そういう向上心は、常に持っていました。

──世界一になっても奢らず、また自分を超えるために勝負に挑む。その精神力は、スポーツの世界でよく言われる「勝者のメンタリティー」とは違うものですか?

北島 周りの人からは「究極の負けず嫌い」とよく言われましたけどね(笑)。

──「負けず嫌いは、勝ち方を知っている」とも言える気がします。

北島 いや、それは違うと思います。“勝ち方”なんて、ないんですよ。それがあったら勝負がマニュアル化されてしまって、誰がやっても勝てることになってしまう。フィジカルが強くても弱気な人はいるし、練習で強くても試合で勝てない人もいる。結局、やっているのは“人”ですから。金メダルを獲る人というのは、共通している部分が多くありそうで、実はまったくないと僕は思う。

──となると、北島康介にしかない“武器”は、何ですか?

北島 練習以上のものを本番で出せる自信は、昔からありました。僕は練習で力を発揮できない選手というか、むしろ、練習をパーフェクトな状態でやりたくないと考えるというか……。ただ、本番で力を発揮する自信は、少しはあったかなと思います。

 

*1 シドニー大会: 2000年 シドニーオリンピック
*2 アテネ大会: 2004年 アテネオリンピック
*3 北京大会: 2008年 北京オリンピック

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