2015年12月6日。
生憎の天候の下、「第31回NAHAマラソン」は行われました。
3万人のランナーが駆け抜ける様は壮観のひと言でしたが、
その人の群れの中には、
赤いユニフォームに身を包んだ「COKE 沖縄」の姿がありました。
沖縄コカ・コーラボトリングの社員を中心に編成された「COKE 沖縄」は、
チームとしてNAHAマラソン初参戦。
彼、彼女らの奮闘ぶりを密着レポートします。

文=細江克弥
写真=松本昇大

■テーマは「太陽と海とジョガーの祭典」

今、日本中が健康ブームに沸いている。健康=身体づくりということで、とりわけランニングは誰でも手軽に楽しめる趣味の一つとして多くの人に愛されている。そうした強い社会的な支持を受けて、全国各地で催されるマラソン大会は、秋から冬にかけての風物詩となった。
毎年12月に沖縄県那覇市で開催され、全国各地から約3万人ものランナーが集う「NAHAマラソン」も、全国屈指のメジャー大会の一つだ。大会のテーマは「太陽と海とジョガーの祭典」。季節が冬であることを感じさせない陽気と沖縄ならではの青い海を感じながら、3万人の“仲間”と那覇の町を駆け抜ける──。まさに、ジョガーの祭典である。
沖縄コカ・コーラボトリングは、1985年の第1回大会から協賛企業として、スポーツドリンクなどの提供を含め同大会をサポートしてきた。過去の大会には社員が個人でフルマラソンに挑戦するなどしてきたが、第31回となる今大会はランナーチーム「COKE 沖縄」を発足。「アクエリアス」や「コカ・コーラ」などの製品提供で舞台裏からサポートするだけでなく、大会を盛り上げようとチームで出場した。

■女性エースは、入社10年目の営業企画担当者

沖縄コカ・コーラボトリングのトレードマーケティング部戦略企画課に勤務する福里芽衣ふくざと・めい)さんは、「COKE 沖縄」の女性エースだ。彼女はランナーとして過去に4度出場し、いずれも完走。NAHAマラソンを舞台とする今回のストーリーの主役は、学生時代からテニスに没頭してきたというバリバリのスポーツ・ウーマンであり、沖縄コカ・コーラボトリングで初の女性営業企画担当者として活躍した経歴を持つ入社10年目の彼女である。
目指せ! 歓喜のゴール!
「COKE 沖縄」、NAHAマラソン挑戦記。

福里芽衣さん。女子のエース

大会前日の午後、スタート&ゴール地点となる奥武山公園は、本番を控えてゼッケンを受け取りに来たランナーや出展ブースの準備をする人で溢れていた。グリーンの芝生が広がる広場に腰を下ろし、福里さんに話を聞く。

■「毎回“これが最後”と思うけど、今回で出場5回目」

──フルマラソンにはよく出場するんですか?
「出場したことがあるのは、NAHAマラソンだけなんです。今年で5回目。走るたびに、特に終盤がキツくて、『どうして出てしまったんだろう』『絶対に最後!』と思うんですよ(笑)。でも、毎年、申し込みの時期が来ると『もう1回だけ』という話になってしまって……」
──初めて出場したのは?
「大学在学中で、20歳の時でした。所属していたテニス部内で、『4年間で1度はNAHAマラソンを完走しよう!』というルールができて、それがきっかけで出場することになりました。でも、ホントに、ものすごくキツくて……。なんとか完走することができたのですが、テニスの試合に影響してしまうほど体がボロボロになる人が続出して、テニス部内のルールはすぐになくなりました(笑)」
──2度目の出場は?
「今から数年前に大学時代の友人が出場し始めて、最初は応援するだけだったんです。それから“流れ”で私も出場することになって……確か、2012年だったと思います。完走できるか不安だったので、自分にプレッシャーをかけるためにラジオ番組で企画されていた“ランナーズ・リポーター”に応募しました。でも、走ってみたらものすごく大きな達成感があったんです。学生時代のタイムは、5時間45分。この時のタイムは5時間5分。それが嬉しくて、その後も挑戦するようになりました」
目指せ! 歓喜のゴール!
「COKE 沖縄」、NAHAマラソン挑戦記。

──今年の調子は?
「週に3日~4日、家の近所を6キロほど走るメニューで調整してきました。ただ、実は、3度目と4度目の出場は、徐々にタイムが落ちてきているんです。痛みとか、疲れとか、体の不具合も出るようになって、昨年のタイムは4時間59分。今年は天候の不安もあるし、また体が痛くなりそうだし、だから、目標タイムは4時間台をキープすること……いや、5時間15分くらいにしようかな」
根っからのスポーツ・ウーマンであるという彼女のキャラクターは、話しているとすぐに分かる。小柄だがハキハキと元気が良く、よく笑い、でも眼力が強くて負けん気が強そうだ。さすがは、チームの女性エース。そう口にすると、彼女は「いやいや、私はチームの“広報係”みたいなものですよ!」と謙遜しながら笑った。