1985年4月23日、ザ コカ・コーラ カンパニー(米国本社)は、同社のマーケティングの歴史において、過去最大ともいえる賭けに出ました。なんと、世界中で親しまれてきた「コカ・コーラ」の味を変更すると発表したのです。この決断に消費者は猛反発。小売店では従来製品の買い占めが起きたばかりか、何千件もの苦情の電話や手紙が会社に殺到しました。米国中に広まった抗議行動を受け、ザ コカ・コーラ カンパニーは、変更の発表からわずか79日後の1985年7月11日、元の「コカ・コーラ」を再導入することを決めました。

いわゆる“『ニュー・コーク』騒動”と呼ばれるこの一連の出来事は、“20世紀のマーケティング史上最大の失敗事例”とも評されることもあります。ザ コカ・コーラ カンパニーは、一体どのような経緯でこの決断に至ったのでしょうか? そして「コカ・コーラ」の歴史の中で、それはどのような意味を持ったのでしょうか? 「ニュー・コーク」の本当の歴史を、一緒に振り返って見ましょう。

*関連記事:「1985年の『ニュー・コーク』販売騒動とお蔵入りとなったアンディ・ウォーホル作品」

文=コカ・コーラ ジャーニー編集部(グローバル版)

 

■人気低迷からの復活を狙った決断

1985年になされた「コカ・コーラ」のフォーミュラ変更(フォーミュラとは、『コカ・コーラ』原液のレシピのこと。変更後の製品は、オリジナルと区別するために『ニュー・コーク』と呼びならわされています)は、「コカ・コーラ」の99年に及ぶ歴史の中でも、初めての試みでした。ザ コカ・コーラ カンパニーは決して、「ニュー・コーク」に対する消費者の反発を予想していたわけではありません。ザ コカ・コーラ カンパニーにとって最大の市場である米国で、「コカ・コーラ」ブランドとコーラ飲料市場に活気を取り戻すことを狙っていたのです。

マーケティング史に残る失敗か、はたまた戦略的な“投資”かーー。 発売即“大炎上”した「ニュー・コーク」の真実

ニュー・コーク」の広告

ニュー・コーク」騒動について語られるとき、当時「コカ・コーラ」が直面していた状況が見落とされていることが少なくありません。1985年当時「コカ・コーラ」は、米国コーラ飲料市場におけるシェアを、15年連続で最大の競合相手に奪われ続けていました。コーラ飲料全般の人気も低迷しており、消費者の「コカ・コーラ」に対する支持率も認知度も低下していたのです。

そこで図られたのが、味の変更によるイメージの刷新。この施策は、20万人近くの消費者を対象にした試飲の結果に基づいて実行されました。しかし、このテストでは、ある重要な要素が見落とされていました。それは、消費者は元の「コカ・コーラ」に、非常に強い思い入れを持っていたということです。消費者はその思い入れに対して、ザ コカ・コーラ カンパニーですら介入することを拒否したのです。

マーケティング史に残る失敗か、はたまた戦略的な“投資”かーー。 発売即“大炎上”した「ニュー・コーク」の真実

カナダで発売された限定版の「ニュー・コーク」缶

 

■抗議に買い占め…全米で起きた「コカ・コーラ」パニック

1985年にザ コカ・コーラ カンパニーの会長兼CEOを務めていたロベルト・ゴイズエタは、1995年に開かれた「ニュー・コーク」騒動10周年を記念するイベントで、このときの決断を「“考え抜かれたリスク”を取ること」の大切さを示した典型例であると評しました。たとえその決断が意図せぬ結果をもたらすことになったとしても、そのようなリスクをとることは企業の成功には欠かせないものだと述べたのです。そして、すべての従業員に、仕事において“考え抜かれたリスク”を取ることを促しました。

イベントに集まった従業員の多くは、1985年当時も社内で働いており、何千件もの消費者からのクレームに追われた日々を覚えていました。

コカ・コーラ」のフォーミュラ変更が発表されるやいなや、ザ コカ・コーラ カンパニーのお客様窓口だけでなく、米国中に点在するコカ・コーラ社の拠点に、消費者から苦情の電話がかかってきました。ザ コカ・コーラ カンパニーが消費者ホットラインで受け付けるクレームの件数は、通常時には1日400件程度でしたが、1985年6月には1日1,500件にまで跳ね上がったのです。加えて、コカ・コーラ社で働く人間は、本社役員から一般の従業員に至るまで、知り合いや近所の人の苦情を個人的に受けつける羽目にもなりました。

マーケティング史に残る失敗か、はたまた戦略的な“投資”かーー。 発売即“大炎上”した「ニュー・コーク」の真実

ニュー・コーク」の広告

ゴイズエタ自身、宛名に「ザ コカ・コーラ カンパニー 最高に間抜けな責任者へ」とだけ書かれた消費者からの手紙を受け取っています(間抜けと言われたことより、その手紙を受け取った従業員が、自分の元に届けたことの方が腹立たしかった、とゴイズエタは回想しています)。別の消費者は、手紙の中でゴイズエタのサインを所望してきました。「“米国のビジネス史上最も愚かなリーダーの一人”のサインには、将来莫大な価値が出ると思うからです」とその手紙には書かれていたそうです。

また、「コカ・コーラ」のフォーミュラ変更を知った一部の消費者は、パニックに陥りました。変更前の製品が手に入るうちに確保しておこうと、ある人は「コカ・コーラ」を900本も買って自宅の地下室をいっぱいにし、またある人は、地元であるテキサス州のボトラー社に車を乗りつけて1,000ドル分の「コカ・コーラ」を購入しました。一番のお気に入りの清涼飲料が手に入らなくなることを憂いて、うつ状態に陥る人もいたといいます。なくなることが分かってはじめて、消費者たちは自分の人生における「コカ・コーラ」という存在の大きさに気づいたのです。

米国中に抗議行動をするグループが結成され、オリジナルの「コカ・コーラ」を称える歌がつくられました。そして、ザ コカ・コーラ カンパニーの本社所在地のアトランタは、「われわれは“本物”を要求する」「未来の子どもたちにさわやかさを」といった抗議サインを掲げる人々であふれました。

 

■消費者自身が思い出した“『コカ・コーラ』愛”

1985年7月、ザ コカ・コーラ カンパニーは「コカ・コーラ」を元の味に戻すことを発表。そのニュースはTV番組で大きく取り上げられ、主要な新聞のほとんどで第1面を飾りました。消費者はそのことを、熱狂と安どのため息とともに受け入れました。発表からわずか2日後には、ザ コカ・コーラ カンパニーは消費者ホットラインで31,600件もの感謝の電話を受け付けることになります。消費者にとって「コカ・コーラ」が単なる清涼飲料を超えた存在であることは、もはや誰の目にも明らかでした。

オリジナルの「コカ・コーラ」は最初、「コカ・コーラ クラシック」として「ニュー・コーク」と隣り合わせで販売されました。二つのブランドの広告キャンペーンは明確に区別され、「ニュー・コーク」がフレッシュさと斬新さ、「コカ・コーラ クラシック」はより感情に訴えかけるコンセプトを打ち出したのです。しかしその後、「ニュー・コーク」の製品名は「コーク II」に変更され、しばらくして米国内での販売は打ち切られるに至ります。

1985年の一連の出来事は、清涼飲料業界の力関係を一気に逆転させ、ザ コカ・コーラ カンパニーの歴史を大きく変えることとなりました。騒動の収束後、「コカ・コーラ」の人気は史上かつてなかったほどに高まったのです。そして、このとき消費者が思い出した「コカ・コーラ」に対する愛情は、現在も大切に守られています。