コカ・コーラ社は、最も歴史あるオリンピック競技大会のスポンサー企業。1928年以来、同大会をサポートしています。同社はさらに、リオ2016オリンピックに続き、東京2020オリンピックでも、トップレベルのスポンサーシップであるワールドワイドオリンピックパートナーを務めることが決定しています。

まさに、オリンピックに欠かせないスポンサーとなったコカ・コーラ社。これからコカ・コーラ社の、歴代オリンピック競技大会へのサポートの歴史を振り返ってみましょう。


<クレジット>
文=コカ・コーラ ジャーニー 編集部



■1928年 アムステルダム大会(夏季):大西洋を渡った1,000ケースの「コカ・コーラ」


1928年の夏季オリンピック開幕直前、オランダの首都アムステルダムに、アメリカ合衆国代表選手団と「コカ・コーラ」1,000ケースを積み込んだ貨物船が入港しました。大西洋を渡ってきた「コカ・コーラ」ボトルは、1928年 アムステルダム大会の会場周りの売店やボート競技会場近くの売店で販売されました。

■1932年 ロサンゼルス大会(夏季):記録表示盤を提供

コカ・コーラ社の提供で各選手の記録表示盤(レコード・キーパー)を導入しました。観客は円盤状の表示板を回して、18種目の世界記録と各選手の記録を比較することができるようになりました。


■1948年 ロンドン大会(夏季):戦後復興の象徴



第二次世界大戦の影響で、ロンドン周辺のボトリング施設や輸送網はフル稼働できる状態にはありませんでした。そこでコカ・コーラ社は、スコットランドのグラスゴーや北アイルランドのベルファストから「コカ・コーラ」製造のための設備を運び込むことを決断し、オリンピック出場選手や観客ののどを潤すことに成功しました。


■1956年 メルボルン大会(夏季):南半球への招待券



1956年は、南半球で開催される初めてのオリンピック競技大会となりました。コカ・コーラ社はアメリカ本国から遠く離れた地で行われるこの大会のために、オリンピック観戦ツアーの実施を決め、ツアーが当たる抽選会の告知広告を新聞に掲載しました。また、オーストラリアの強い日射しが降り注ぐ競技会場でも観客が快適に過ごせるようにと、10万個以上のサンバイザーを配布し、400以上の売店でキンキンに冷えた「コカ・コーラ」を販売しました。


■1964年 東京大会(夏季):「コカ・コーラ」流おもてなしで大成功

外国からやってきた観客が東京の街中で道に迷うことのないように、標識や地図、観光情報が掲載された英語のガイドブックや、日本語と英語が併記された日常会話ブックなど、さまざまな「お役立ちツール」を作成しました。このアイディアは好評を博し、1964年 東京大会以降、他の大会でも「お役立ちツール」が採り入れられるようになりました。


■1968年 グルノーブル大会(冬季)・メキシコシティ大会(夏季)

1968年には、全米の視聴者向けに冬季大会と夏季大会双方のオリンピック放送番組を提供した初のスポンサーとなりました。また、オリンピックをテーマにしたテレビCMを放送することで、自宅でオリンピック観戦を楽しむ人の増加に貢献しました。


■1972年 札幌大会 (冬季):記念世界地図を配布

大会開幕の1ヵ月前、北海道内の中学校に「オリンピック記念世界地図」30万枚を寄贈しました。それは、若い世代にオリンピックを身近に感じてもらうための試みでした。大会期間中はもちろん、飲料提供をしました。


■1972年 ミュンヘン大会(夏季):記念メダルの収益を寄付

アメリカで17種の大型記念メダルを製作し、その売り上げをアメリカオリンピック委員会へ寄付しました。また、コカ・コーラ社は、最初の企業スポンサーとなり、「コカ・コーラ」は、オリンピックの公式清涼飲料となりました。


■1980年 レークプラシッド大会(冬季):記念グッズが大ヒット

大量のグッズを製作して市民に提供しました。オリンピックにちなんでデザインされた8種の記念ボトルの特別セットなどは特に人気が高く、これ以降、オリンピック関連の記念グッズへの関心は驚異的な勢いで高まりました。


■1984年 ロサンゼルス大会(夏季)



大会マスコットの「イーグルサム」が描かれた23種の「コカ・コーラ」限定缶が発売されました。


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