文=テッド・ライアン(ザ コカ・コーラ カンパニー<米国本社> ヘリテージ・コミュニケーションズ担当ディレクター)


■CMソングの黄金時代を築いた男、ビル・バッカー

1960年代前半から70年代にかけての米国では、ポップミュージック界を代表する大スターの歌う「コカ・コーラ」CMソングが連日のようにラジオで流れ、消費者の熱烈な支持を得ていました。なぜそんなにも支持されたのかというと、当時の一般的なCMソングとは次元が違うといっても過言ではないほど、一曲一曲のクオリティが高かったからです。60年代当時のCMソング=商品名を強調したキャッチーなメロディであり、レコードを買って楽しむような音楽とは別のものと考えられていました。しかし、広告会社マッキャン・エリクソン所属のクリエイティブ・ディレクターで、「コカ・コーラ」を担当していたビル・バッカー告業界に新しい風を吹き込んだのです。

63年、「コカ・コーラ」のスローガンが「Things Go Better with Coke」(『コカ・コーラ』があればもっとうまくいく、という意味)に刷新されました。バッカーは、このスローガンが単なる広告コピーではなくブランドそのものを体現した言葉であり、キャンペーンで展開されるあらゆる施策を結びつける役割を果たす可能性を持っていると考えました。そこで、バッカーは自ら、このスローガンを歌詞に盛り込んだCMソングを書き上げ、フォークトリオのライムライターズにデモ音源の制作を依頼します。音源の収録はニューヨーク57番街にある古いアパートメントで行われましたが、完成したレコードはバッカーが複数の録音をつなぎ合わせたために随所で音声が乱れ、良い状態とは言い難いものでした。しかし、コカ・コーラ社は「かえって味わいがある」とこのデモ音源をことのほか気に入り、6年にもわたって使用し続けたのです。

ライムライターズによる「Things go better with Coke」のデモ用レコード


後年のインタビューで、バッカーは次のように語っています。
「ザ コカ・コーラ カンパニーがデモを気に入ってくれたので、私は『相応の制作費をいただければ、音声に乱れのない、完成版のレコードをつくって納品しますよ』と伝えました。しかし、残念なことに、このCMソングの仕事で大金が入ってくると分かった途端、ライムライターズのパフォーマンスは当初の輝きを失ってしまったんです。そのため、“音質に難あり”のデモ音源を何年にもわたって使い続けることになりました。欠点を凌駕する魅力が、そこにはあったんですね」


■人気の秘密は、一切妥協しない音楽づくり

「Things Go Better with Coke」の成功を受けて、バッカーは、ザ コカ・コーラ カンパニーの広告担当役員のデロニー・スレッジに、人気ミュージシャンを起用して本格的なCMソングをつくり、ラジオで放送することを提案しました。保守的な考えの持ち主だったスレッジは、最初こそ新しいやり方に難色を示したものの、65年には「若年層の『コカ・コーラ』人気を再燃させる方法はこれしかない」と考え、この提案を受け入れることに決めました。
コカ・コーラ」CMソングを歌ったアレサ・フランクリンのポスター


このようにして本格的なCMソングづくりが始まったわけですが、バッカーは、起用したミュージシャンたちに対して、「CM用ではなく、自分たちのレコード用の楽曲のつもりで収録してください」と伝えました。さらに、1曲につき異なるバージョンを15種類用意してもらうという念の入れよう。当時の一般的な音楽レコードの収録曲数は平均15曲で、そのうちヒット曲と呼べるのはせいぜい1曲、という認識があったためです。

65年3月15日、ザ・フォー・シーズンズ、ジャン&ディーン、ザ・シュレルズ、ジョン・バブルスの4組を起用した一連のラジオCMが放送されました。キャンペーンは狙い通りの大成功を収め、ザ・シュレルズとジョン・バブルスによるCMソングは、ジョージア州オーガスタのラジオ局のヒットチャートでトップ40に入ったほどです。米国各地のラジオ番組には、視聴者から「コカ・コーラ」CMソングのリクエストが大量に押し寄せる事態となりました。

実はこのときのCMソングは、独特の方法で制作されました。CMソングのベースとなる楽曲は、起用ミュージシャンの既存のヒット曲。そして、ミュージシャンらは、その歌の中にスローガン「Things Go Better with Coke」を入れてアレンジするよう依頼されます。一方、作曲から録音までの過程はミュージシャン自身に任されました。このような方法を採ることで、それぞれの個性が色濃く反映されたCMソングが完成し、若者たちの圧倒的な支持を得たのです。


■「コカ・コーラ」CMがミュージシャンの登竜門に

キャンペーン2年目の66年には、新たなミュージシャンが続々と起用されました。その中でもバッカーが特に気に入っていたのが、レイ・チャールズが自ら作詞・作曲したCMソングです。
「『悲しい歌ばかり歌うショーの合間に、舞台裏で<コカ・コーラ>を飲んで一息つく。そうやって、気持ちを立て直してからショーを続けるんだ』。歌詞の中に、ごく自然に『コカ・コーラ』が登場し、押しつけがましさが全くないのが、素晴らしいと思いませんか?」

スターが自ら歌うCMソングへの注目度が高まるにつれて、バッカーのチームはさまざまなミュージシャンからの売り込みを受けるようになりました。革新的な広告キャンペーンに登場することによるイメージアップ効果に加え、何度もラジオで自分たちの音楽が流れるという高いPR効果が、ミュージシャンたちの強い関心を集めたのです。


■世界でも続々とミュージシャンを起用

「It's the Real Thing」キャンペーンのためにCMソングを歌ったジェームス・ブラウン


69年にザ コカ・コーラ カンパニーがスローガンを「Things Go Better with Coke」から「It’s the Real Thing」(それは本物だ、という意味)に変えてからも、スターを起用したCMソングづくりは続きます(この年の参加ミュージシャンは、ジェームス・ブラウン、ザ・フィフス・ディメンション、ムーディ・ブルース、トミー・ジェームズ&ザ・ションデルズ)。その後、レイ・チャールズとアレサ・フランクリンがデュエットで参加したことも大きな話題となりました。“ソウルミュージックのキング&クイーン”と称された二人が歌ったCMソングの作曲者が、実は有名シンガーのニール・ダイアモンドだったということも興味深いですね。

ミュージシャンの本格起用というコンセプトは、日本、ドイツ、アルゼンチンなど世界各国に展開されていきました。日本では68年に男性アイドルグループのフォーリーブスが、69年にはボサノババンドのピンキーとキラーズが「コカ・コーラ」のTVCMに登場しています。

一連のCMキャンペーンに起用されたミュージシャンの中でも最大級のスターである、ザ・フーの存在も忘れるわけにはいけません。彼らがつくったCMソングは、ロンドンの60年代ファッションを代表するブランド「BIBA(ビバ)」のブティックで撮影された「コカ・コーラ」のTVCMに使用されました。ザ・フーのアルバム「ザ・フー セル・アウト」の中にも、このCMソングの別バージョンが収録されています。


■現在まで愛され続ける歌のレガシー

スターを起用した「コカ・コーラ」CMソングの人気は70年代に絶頂を迎え、中でもザ・ニュー・シーカーズが歌った「I’d Like to Buy the World a Coke」(71年)とドティー・ウェストによる「Country Sunshine」(73年)は大ヒット曲となりました。しかし70年代半ば以降、ザ コカ・コーラ カンパニーはより新しい広告形態に関心を移していきます。CMにミュージシャンが登場することはその後もありましたが、音楽がキャンペーンの主役という位置づけではなくなっていったのです。

しかし、一連のキャンペーンが大成功を収め、一つのムーブメントをつくりあげたことはまぎれもない事実です。68年のラジオ業界誌は、このキャンペーンの効果で10歳代の若者の間で「コカ・コーラ」の認知度が40%向上し、多くのラジオ局で「コカ・コーラ」CMソングが定期的にトップ40入りしていたという調査結果を掲載しています。現在に至るまで愛され続けているCMソングも多く、ラジオ番組を通じて配布された何十万枚ものPRレコードは、今やコレクターズアイテムとして人気を博しています。