「コカ・コーラ愛飲家」の評論家・宇野常寛氏が、
コカ・コーラ社製品と自身の日常との接点、
そして、その記憶を詳らかにした連続エッセイです。
第1回目は、ダイエットをきっかけにして出会った
コカ・コーラ ゼロについて。


文=宇野常寛

 1978年(昭和53年)生まれで今年で35歳になる私にとってコカ・コーラは長いあいだ憧れの飲みものだった。何を大げさな、と思われるかもしれないが、ここにはちょっとした理由がある。看護師をしていた私の母親は、当時(おそらくはさしたる科学的根拠もなく)広く流布されていた「コーラを飲むと骨が溶ける」説をかたくなに信じており、その上職業がら「子どものおやつには可能な限り栄養価の高いナチュラルなものを与えなければならない」という思想信条の持ち主だった(たとえばスナック菓子がおやつに出たときは必ず煮干しと一緒に提供され、一緒に食べないと怒られた)。今思うと、仮にも医療関係者がそんな疑似科学的な風説を信じてしまっていていいのか、と思うのだが、当時(80年代)の「家庭の医学」のレベルはその程度のものだったようにも思う。


 と、いうことで幼稚園から中学生くらいまでの間(80年代前半〜90年代前半)の私にとってコーラは、特にその代名詞であるコカ・コーラは母親の目を盗んで飲むちょっと不良の飲みものだった。

 今でも覚えているのは日曜日に珍しく父親と散歩に出かけて、駅前の喫茶店にふらりと入ったとき、父親が「どうせならお母さんがいると怒りそうなものを飲もう」といってコカ・コーラを注文してくれたときのことだ。テーブルがインベーダーゲームやテトリスの匡体になっているあの、今やほとんど姿を消したいかにも80年代的な喫茶店だった。このときの人工的な刺激と、母親に隠れて何かいけないことをしているという背徳感は一生忘れないだろうと思う。


 こうして、コーラを禁じられた少年時代を送った私だったが15歳を境にむしろ毎日のようにコカ・コーラをはじめとする清涼飲料水をがぶ飲みするようになっていった。理由は単純で、高校の寮に入り親元を離れたために母親の監視の目から解放されたからだ。

 しかし、ここで私が直面したのは経済的問題だった。

 当時の私は、月1万円の小遣いを主に本代につぎ込んでいて、食費をなるべく抑えることばかりを考えて生きていた。そんな私にとっての主飲料は、某スーパーマーケットチェーンが自社開発した39円コーラになった。あるいは、寮の売店が(おそらくどこかで大量に売れ残ったものを引き取ってきたらしい)同じく売価40円の、フルーツのフレーバーがミックスされた「〇〇〇〇コーラ」なる謎の飲料になった。

 そう、高校生になり母親の呪縛、母性のディストピアから解放されたはずの私にとってもまだ、あの日喫茶店で飲んだコカ・コーラの背徳の味はなかなか手が届かないものだったのだ。


 そんな私でも大学に入り、そして社会人になっていくとさすがにコカ・コーラ1本買うことに経済的なハードルを感じることはなくなっていった。今思えば、この時期が私とコカ・コーラの最初の蜜月時代だったと言えるだろう。特に私はお酒をあまり飲まないので、居酒屋やレストランで頼むのは決まってコカ・コーラになった。下宿でもたぶん1日に350ミリリットル缶か500ミリリットルのペットボトルのどちらか1本は飲んでいたと思う。


 しかし、30歳を過ぎたある日、まったく別の理由で私はコカ・コーラと清涼飲料水の類をぱたりと飲まなくなった。

 またしても理由は単純だ。結婚を機に、太り始めたからだ。世のたいていの独身男性がそうであるように、男の一人暮らしは食事を単なる燃料補給のように捉えがちで、「面倒くさい」という理由で食事を摂らないことが多い。しかしこうした食事環境は多くの場合結婚によって瞬時に改善されてしまう。さらに男性結婚適齢期であるこの年代は同時に基礎代謝が大きく低下する時期でもあり、本人としては「普通に食事を摂っている」つもりでもいつのまにかブクブク太っている、という悲劇がこうしている今も全世界で繰り返されている。かくいう私もその一人だった。

 気がつけば結婚前は(おそらく)60キロ前後だった体重は80キロをオーバーしていた。しかし私はまったくそのことに気付いていなかった。そしてある日ある取材で撮影された自分の写真を見て、はじめて自分の身体が横方向に伸びていたことに気付いたのだ。


 かくして、私はダイエットをはじめた。

 当時話題を集めていた『体脂肪計タニタの写真食堂』のレシピ本を取り寄せて、1日2食を同レシピの500キロカロリー定食に置き換えた。高田馬場ビックボックスのスポーツジムに入会して毎日通いはじめた。新宿の専門店でクロスバイクを買い、都内の用事はなるべく自転車移動に切り替えた結果自動車に跳ねられて(かすり傷で済んだが)、2度と乗らなくなった。

 ・・・・なんて生活に突入した結果、真っ先に私の食生活からリストラされたのがあれだけ大好きだったコカ・コーラ、そして清涼飲料水だった。私はこれらの飲み物に別れを告げ、当時既に発売されていた他社のゼロカロリー飲料をインターネット通信販売で大量に取り寄せるようになった。しかしお茶や乳酸菌飲料はともかく、なかなか納得のいくゼロカロリー・コーラには出会えなかった。いろいろなメーカーのものを試したけれど、どれも不味くはないがそれらはコカ・コーラではない、別の飲料に仕上がっていた。


 そんなとき、私の目の前に現れた救世主、いや、黒い天使がコカ・コーラ ゼロだった。

 コカ・コーラ ゼロは完璧だった。ゼロカロリー飲料であるにも関わらず、コカ・コーラ ゼロは「コカ・コーラであること」をまったく捨てていなかった。鮮烈さを、爽快感を、そしてなによりあの独特なカフェインの味のもつ背徳感を、あの日私が田舎の喫茶店で味わった不良の香りを、完璧に維持していた。

 そう、既存のゼロカロリー・コーラはどれも「ゼロカロリー飲料は微温的でなければならない」という思い込みのもとに、どこかでコーラの持つワイルドサイドの要素を排除していたように思う。しかし、このコカ・コーラ ゼロは違った。ゼロは正しく不良性を備えた飲み物だった。私が子どもの頃に感じたコーラの持つ背徳感をそのフレーバーの中に引き受けていた。


 私はこのコカ・コーラ ゼロという魔物に出会った瞬間、ロバート・P・ウォーレンの小説「すべて王の臣」の一節を思い出していた。「君は悪から善をつくるべきだ、それ以外に方法はないのだから」──まさに、このコカ・コーラ ゼロというコカ・コーラは「製品が持つ不良性の中から私にとっての善を引き出す」ことに成功していた。そしてこの飲料を通じて、私は日々コカ・コーラが備える不良性の側面の、ワイルドサイドの魅力を存分に味わいながらカロリー・コントロールを行っている。

 そう、ダイエットの本質はシンプルだ。食事制限によるカロリー・コントロールと、脂肪を燃焼させるための運動を並行するだけでいい。しかし特に前者が難しい。ゲーム的な快楽を得やすい運動とは異なり、単に食べたいものを「我慢」する食事制限は「楽しくない」のだ。しかし好きなものを好きなだけ摂取する喜びがそのままカロリー・コントロールに直結するコカ・コーラ ゼロとの出会いは、私にとってこの難問に対するひとつの、そしてシンプルだが決定的な回答だった。

 そして私は今、2週に1回のペースでコカ・コーラ ゼロの500ミリリットルペットボトルの2ダース入りセットをAmazonジャパンで注文している。高田馬場の宇野事務所の冷蔵庫にはコカ・コーラ ゼロが常備されている。私たちはその不良性の魅力を存分に味わいながら健康を手に入れるべきなのだ。それ以外に方法はないのだから。