1928 アムステルダム大会

コカ・コーラ社のオリンピックへの関わりはアムステルダム1928から始まりました。このとき、米国オリンピック代表選手団とともに1,000ケースの「コカ・コーラ」が大西洋を渡ったのです。また、女性が初めて選手として参加したのはこの大会の陸上競技であり、古代オリンピックの伝統であった聖火もこのときに復活しました。

オリンピックスタジアムの入口に掲げられた 「コカ・コーラ」の横断幕
(アムステルダム1928)

1932年 ロサンゼルス大会

ザ コカ・コーラ ボトリングカンパニー・オブ・ロサンゼルスの寄贈によりオリンピック記録掲示板が導入されました。この掲示板に大会で樹立された18個の世界新記録が並んでいくと、スタジアムを埋めた10万5千人の観衆の興奮はいやがうえにも高まりました。1924年と1928年の大会で金メダルに輝いた水泳のジョニー・ワイズミュラー選手は、1934年、女優のモリーン・オサリバンとともに「コカ・コーラ」のサービストレイとポスターに登場し、コカ・コーラ社製品を推奨するオリンピック選手第1号となりました。 また、ザ コカ・コーラ ボトリング カンパニーの提供で各選手の記録表示盤(レコード・キーパー)を導入。観客は円盤状の表示盤を回して、18種目の世界記録と各選手の記録を比較することができました。

選手の記録表示盤
(ロサンゼルス1932)

1948 ロンドン大会

第二次大戦のため12年間中断を余儀なくされたオリンピックが再開されたのはロンドン1948からでした。このときコカ・コーラ社は戦争による痛手を乗り越え、スコットランドのグラスゴーと北アイルランドのベルファストから機材を送り込み、選手や観客の喉の渇きをいやしました。

1952 オスロ冬季大会

コカ・コーラ ボトラー社が協力し、ヘリコプターというものを初めてオスロ市民の前に登場させました。このヘリコプターは、当初ノルウエー選手のための資金調達活動に役立てられ、大会最終日には交通整理に一役買いました。

オスロに着陸するヘリコプター
(オスロ1952)

1956 メルボルン大会

会場の420カ所に自動販売機を設置。また、大会の観戦を促す消費者向けの新聞広告を掲出しました。

消費者向けの新聞広告
(メルボルン1956)

 

≪前のページ 「1」 「2」 「3」 「4」 「5」 次のページ≫