文=コカ・コーラ ジャーニー編集部


■それは、模造品対策のために開発された

コカ・コーラ」の人気が高まるにつれて、その成功に便乗しようとする会社が次々に現れ、模造品が市場に出回るようになりました。

模倣はブランドが浸透している証拠であると言えなくもないですが、それを放置していては製品とブランドの価値を守ることができないと判断して、ザ コカ・コーラ カンパニーは、さまざまな対策を講じました。たとえばこの時期の広告は、消費者に正規の「コカ・コーラ」の存在を伝えることがテーマとなっており、「本物の『コカ・コーラ』を注文しましょう」「代用品は受け入れないように」といったメッセージを発信しています。

コカ・コーラ カンパニーはさらに、正規の「コカ・コーラ」を確実に消費者に届けられるよう、「たとえ暗闇で触れても地面に砕け散っていても、『コカ・コーラ』だと分かるような特徴的なボトル」の開発に乗り出しました。結果的にインディアナ州テレホートのルート・グラスカンパニーが提案したデザインが採用され、1916年に「コンツアーボトル」と呼ばれる有名な曲線構造のボトルの製造が始まりました。このようにして誕生したボトルが、今日に至るまで「コカ・コーラ」の象徴であり続けていることは、みなさんご存知のとおりです。

その後ザ コカ・コーラ カンパニーは急速に拡大を続け、たちまちカナダ、パナマ、キューバ、プエルトリコ、フランスといった国や地域へと進出していきました。1900年にはわずか2社であった「コカ・コーラ」のボトリング(瓶詰め販売)を手がける会社の数は、1920年には約1,000社にまで増加することになるのです。

以前の記事はこちらからご覧ください。
第1回:1886年~1892年 http://www.cocacola.co.jp/stories/1886-1892
第2回:1893年~1904年 http://www.cocacola.co.jp/stories/1893-1904