長年ザ コカ・コーラ カンパニーの経営を指揮したロバート・ウッドラフと、
レティ・ペイト・ホワイトヘッド・エヴァンズ。1940年代ニューヨークにて
(写真クレジット:エモリー大学

 

レティ・ペイト・ホワイトヘッド・エヴァンズ」という名前を聞いて、ピンとくる方はほとんどいないのではないでしょうか。「コカ・コーラ」の歴史を語る上でも、彼女の名が挙がることはこれまで決して多くはありませんでした。しかし、20世紀前半にザ コカ・コーラ カンパニー(米国本社)で女性として初の取締役を務め、膨大な資産を文化や教育の発展に捧げたレティの功績は、現在に至るまで社会に大きな影響を与え続けています。今回は彼女の知られざる人生をご紹介したいと思います。

<クレジット>
文=スコット・リース

 

■本社会議室に名前が刻まれた女性

2015年8月、アトランタにあるザ コカ・コーラ カンパニーの会議室の一つに、レティ・ペイト・ホワイトヘッド・エヴァンズの名が冠されることが決定しました。個人の栄誉を称える意味で本社施設の名称に名前が採用されるのは、130年を超える「コカ・コーラ」の歴史の中でも、際立った功績を残したごく少数の人物に限られています。

彼女の“殿堂入り”を提案したのは、現在ザ コカ・コーラ カンパニーの最高財務責任者(CFO)を務めるケイシー・ウォラー。「彼女はコカ・コーラシステムの発展のために目覚ましい貢献をしました。彼女が設立した基金の恩恵を受けている個人や団体は、現在でも数多くいます。本社施設に名前を冠するのに、まさにふさわしい人物と言えるでしょう」とウォラーは語ります。

レティ・ペイト・ホワイトヘッド・エヴァンズに敬意を表して」という一文を入口に掲げた会議室

 

■夫が「コカ・コーラ」の瓶詰め販売を確立

コカ・コーラ」が誕生して10年足らずの1894年のこと。ヴァージニア州出身のレティ・ペイトは、弁護士のジョゼフ・ホワイトヘッドと結婚し、テネシー州チャタヌーガで新婚生活を始めました。まもなく二人の息子に恵まれ、レティは家で子育てに励む平穏な生活を送っていました。

夫のジョゼフは税法を専門としていましたが、やがて弁護士仲間のベンジャミン・トーマスと、ソーダファウンテン(カウンター形式の喫茶店)で人気を博していた「コカ・コーラ」のビジネスの将来性に目をつけます。「コカ・コーラ」をボトルに詰めて販売すれば、爆発的に売れるに違いないと見込んだ二人は、ボトリング(瓶詰め販売)の権利の取得に乗り出しました。

1899年7月21日、トーマスジョゼフは共通の知人を通じて、当時ザ コカ・コーラ カンパニーの社長を務めていたエイサ・キャンドラーとの面会にこぎつけます。そしてわずか1ドルという対価で、米国の多くの州で「コカ・コーラ」をボトルに詰めて販売する権利を取得したのです(その経緯については、こちらの記事をご覧ください)。その後、トーマスは地元チャタヌーガに、ジョゼフはアトランタにボトリング工場を建設しました。ここに、現在世界中で展開しているコカ・コーラシステム(*1)の礎が築かれたわけです。

やがて、このベンチャービジネスは、ジョゼフの妻レティの人生をも大きく変えていくこととなりました。

レティ・ペイト・ホワイトヘッド・エヴァンズの肖像画

 

■夫の遺志を継いでボトリング事業に邁進

ジョゼフはその後も「コカ・コーラ」ボトリング事業の全国展開を目指し、米国の西部と南部を中心に、次々とボトリング工場や物流施設を立ち上げていきました。しかし1906年、41歳という若さで、肺炎のためにこの世を去ってしまいます。

当時34歳だったレティは、8歳と11歳の息子を育てながらも夫の事業を支え、アトランタのビジネスコミュニティの中でも重要な存在となっていました。夫の突然の死によりボトリング事業の権利と不動産を引き継いだ彼女は、自ら経営者となってコカ・コーラシステムの発展に尽力する道を選んだのです。

レティは1913年に、アーサー・ケリー・エヴァンズというカナダの退役軍人と再婚しました。二人の結婚生活はそれから35年間続きました。

一方、1923年にはロバート・ウッドラフがザ コカ・コーラ カンパニーの社長に就任。彼はレティの親友であり、共に「コカ・コーラ」を世に広める盟友として、ビジネス上のアドバイザーの役割も果たしていた人物でした。

コカ・コーラシステムが爆発的に拡大しだしたのも、この時期です。1928年にはボトル入りの「コカ・コーラ」の売り上げがソーダファウンテンでの「コカ・コーラ」の売り上げを上回り、1932年には英国に初のボトリング工場が建設されました。その2年後、ウッドラフとザ コカ・コーラ カンパニーはホワイトヘッド家が保有していたアトランタ コカ・コーラ ボトリングカンパニーの経営権を譲り受け、対価としてザ コカ・コーラ カンパニーの株式を譲渡する形で、ボトリング事業を買い取りました。

レティはザ コカ・コーラ カンパニーの取締役に就任し、20年近くにわたり経営幹部として手腕を発揮しました。彼女はザ コカ・コーラ カンパニー初の女性取締役となっただけでなく、米国の大企業の取締役会に名を連ねる最初の女性の一人ともなったのです。

 

■基金を設立し、文化と教育の発展に貢献

資産家となったレティは、1953年に81歳で亡くなるまで、ヴァージニア州とジョージア州を中心とする教育機関や宗教施設など、130以上の団体に何百万ドルもの寄付をしました。エモリー大学(*2)ヴァージニア美術館(*3)パリ・アメリカンホスピタル(*4)といった団体の理事を務めた他、ジョージア工科大学(*5)には彼女の名前を冠した管理棟があります。また、彼女が設立したレティ・ペイト・エヴァンズ基金レティ・ペイト・ホワイトヘッド基金は、現在もロバート・ウッドラフ基金の傘下で、慈善事業、教育、宗教活動の支援を続けています。

このようにレティ・ペイト・ホワイトヘッド・エヴァンズは、大企業における女性の経営参画の先駆者であるだけでなく、文化や教育の発展に積極的に投資するコカ・コーラ社の姿勢を早くから体現していた人物といえるでしょう。今後「コカ・コーラ」の歴史を語るうえで、彼女の名前にますます光が当たるようになることを願っています。

*1 コカ・コーラシステム:原液の供給と、製品の企画開発・マーケティングを担うザ コカ・コーラ カンパニーと、製品の製造、販売などを担うボトリング会社、および、関連会社で構成されるシステムのこと。
*2 エモリー大学:ジョージア州アトランタ郊外にある私立総合大学。
*3 ヴァージニア美術館:ヴァージニア州リッチモンドにある美術館。
*4 パリ・アメリカンホスピタル:フランスのパリにあり、医療施設として米国・フランス両国の認定を受けている私立総合病院。
*5 ジョージア工科大学:ジョージア州アトランタにある州立工科大学。