文=テッド・ライアン
ザ コカ・コーラ カンパニー (米国本社)のアーカイブ庫の責任者であった私は、そこに収められていた膨大な量の製品や広告、アート作品を丸ごと引っ越しさせるという、貴重かつ大変な経験をしました。今回はザ コカ・コーラ カンパニー が誇るアーカイブ庫の歴史と、私が関わった2度の引っ越しの様子をご紹介しましょう。
ザ コカ・コーラ カンパニー にアーカイブ庫が創設されたのは、会社の創立50周年から間もない1939年のこと。「コカ・コーラ 」の歴史を伝える資料室であるだけでなく、将来的に展示室の役割も果たせるように設計されました。
アーカイブ庫創設の翌年(1940年)、コレクション拡大の立役者の一人がザ コカ・コーラ カンパニー に入社してきます。その人物は、会社専属の史学者として採用されたフランクリン・ガレット 。ガレット は1958年までザ コカ・コーラ カンパニーに 勤め、自身の役割を後任に引き継ぎました。彼はのちに、アトランタの歴史博物館、アトランタ・ヒストリー・センターの館長を務めています(私がガレット に出会うのもこのころです)。
フランクリン・ガレット
コレクション拡大の立役者の二人目は、ガレットから役割を引き継いだウィルバー・クルツ・ジュニア 。彼は、歴史上の出来事を描いた作品を数多く残した画家のウィルバー・クルツ・シニア の息子です。ウィルバー・クルツ・シニア は映画『風と共に去りぬ 』のテクニカルアドバイザーを務めるほど歴史的知識が豊富な人物で、クルツ・ジュニア も大いに影響を受けました(ちなみに、私は1987年からアトランタ・ヒストリー・センターでガレット と一緒に働いていましたが、私の最初の仕事は、このクルツ・シニア の作品コレクションの目録づくりでした)。
ガレット の主な関心はザ コカ・コーラ カンパニー の歴史を文書として残すことにありました。一方、クルツ・ジュニア は歴代の製品やアート作品の収集にも力を入れ、今日のアーカイブ庫の礎を築きました。当初、収集の対象は北米のアイテムに限られていましたが、1971年に社内のアーカイブ庫担当部門がグローバルコーポレート部門に移管されたことで、収集の対象範囲を世界中に広げていくようになりました。
ウィルバー・クルツ・ジュニア
クルツ・ジュニア が1977年に引退すると、ザ コカ・コーラ カンパニー は、コレクション拡大の立役者の三人目となるフィル・ムーニー を採用します。アーキビスト(※)としての専門教育を受けていたムーニー は、コレクションの保管方法を改めるのと同時に、複数の倉庫や事務所に分散していたコレクションを1ヵ所に集約しました。1983年には、紙やホッチキスなどの備品を保管していた本社内の部屋を確保し、コレクション専用の保管スペースとしています。
※アーキビストとは、博物館や図書館が保有する情報や所蔵品を収集・整理する専門職のこと。
■貴重なアイテムのお引っ越し。あなたならどうする?
総額数千万ドル相当の貴重なアイテムのコレクションを丸ごと移動させるとしたら、どのようなやり方を選択しますか? 「とっても慎重に!」……と答えたら、まるで冗談であるかのように受け取られてしまうかもしれませんが、あながち間違いではありません。2015年の夏、■コレクションを拡大した3人の“前任者”
アーカイブ庫創設の翌年(1940年)、コレクション拡大の立役者の一人が

コレクション拡大の立役者の二人目は、ガレットから役割を引き継いだ

※アーキビストとは、博物館や図書館が保有する情報や所蔵品を収集・整理する専門職のこと。
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