2017年の今年、創立60周年を迎える
それを記念して、
清涼飲料「
連載企画の第3回目です。
今回は、どのようにして日本国内で自由に
「
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戦後の日本国政府は、“先ずは日本の復興と経済成長が第一”ということで、国内産業の保護と国内経済の安定を経済政策の優先課題としていました。そのため、貿易に関しては輸出拡大施策と輸入制限措置がとられており、1959年(昭和34年)の輸入自由化率(*1)は、約30%ほどでした。
*1 全輸入品目のうち、関税がなく自由に輸入できる品目数の割合のこと。
しかし、目覚ましい経済成長を遂げていた日本に目をつけた各国は、日本に対し、輸入自由化を強く求めます。
そのような中、1960年(昭和35年)に内閣総理大臣に就任した
この自由化の流れにともない、1960年(昭和35年)には、「
*2 輸入に際して、通産省(現:経済産業省)に輸入量と金額を申請する義務はあるが、原則的に申請通りの輸入が自動的に承認される制度。通称AFA制。
同時に、「
こうして、
1960年(昭和35年)11月には、日本コカ・コーラが製造した「
また、「
こうして、「
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第1回 「
第2回 日本の消費者と「
第4回 事業を発展させた技術革新と営業活動
第5回
第6回「
第7回
第8回
第9回 自動販売機の進化史
第10回
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