2017年に創立60周年を迎える
それを記念して、
清涼飲料「
ご紹介する連載企画の第4回目です。
今回は、「
技術者と営業マンの奮闘ぶりを描きます。
イラスト=宮内大樹
世界各国で展開されている
たとえば、「
日本では、1949年(昭和24年)に
しかし、
結果的にその努力が結実し、海外製品と比べても何の遜色もない高品質のボトルが製造できるまでになりました。
製品工場内でもっとも印象に残る機械といえば、ラインから流れてくるボトルに素早く「
それらの努力の末、「
今も昔も「
一つは、ルートセールスと呼ばれる独自の販売方式。問屋に製品を卸すのではなく、販売店を独自に開拓していく直販方式です。この方式により、販売店を増やすのと同時に、販売店と密接な関係を築くことに成功しました。
もう一つは、営業マンの業務範囲の広さです。具体的な業務とは、(1)トラックの運転、(2)製品の売り込みと空きびんの回収、(3)得意先の新規開拓、(4)ポスター貼りなどのマーチャンダイジング活動、(5)集金、(6)精算事務、(7)翌朝配送分の荷積み……。何と営業マンは、一人で7役もこなしていたのです。一見、非効率な働き方にも思えますが、営業マン一人ひとりが仕事に対する責任感を持ちやすくなることと、仕事を任されることによって、モチベーションを向上させられるため、のちに多くの企業がこの方法を真似ています。
その後もたゆまぬ営業努力により、「
そして、1967年(昭和42年)には、日本の各家庭でもっとも多く飲まれる清涼飲料の座を獲得したのです。
このようにして、日本中の多くの人々に愛されるようになった「
*その他の記事は、こちらからご覧ください。
第1回 「
第2回 日本の消費者と「
第3回 「
第5回
第6回「
第7回
第8回
第9回 自動販売機の進化史
第10回
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