自宅で、会社で、そして屋外で。常日頃、誰もが手軽に飲んでいる“お茶”。
このお茶、そもそも、いつ頃日本にやってきて、
いつ頃から当たり前のように飲まれるようになったのでしょうか。
身近なようで意外と知らないお茶の歴史を、
京都造形芸術大学教授・中村利則さんに聞いてみました。

文=平井莉生
写真=下屋敷和文

1. 緑茶の黎明期「日本の“元祖お茶”と大陸からやってきた“舶来のお茶”」

Q. 日本では、いつからお茶を飲料として飲んでいるのでしょうか。 

日本には、縄文時代から「山茶」(やまちゃ)と呼ばれるものがありました。日本の本州の半分以上は、“照葉樹林帯”という気候風土で、茶が自生する環境です。火を焚いてお湯を沸かし、そこに山茶を入れて煮出して飲むという行為は、当時から行われていたと言われています。

Q. 大陸からやってきたお茶はどのようなものですか。誰が持ち込んだのですか。 

中国が“唐”の時代(618年〜690年、705年〜907年)に、半発酵させたお茶を固め、沸騰したお湯に砕き入れて煮立てて飲むお茶が日本に持ち込まれました。今、緑茶と呼ばれている不発酵のお茶が持ち込まれたのは1191年。中国が“宋”の時代(960年〜1279年)、日本はちょうど平安時代から鎌倉時代へと移り変わるころでした。栄西(1141年〜1215年)という禅僧が宋に留学した際に、臨済禅の寺院で儀礼のひとつとして抹茶が飲まれていたことを知り、日本へ茶の種を持って帰りました。京都の栂尾に植え、栽培と製茶を始めたのが、後に“茶の湯”と呼ばれるお茶の歴史の始まりと言われています。

  

2.  緑茶の発展期「日本文化を支えた、“茶の湯”の発展」 

Q. 日本で、お茶の文化が育まれていった歴史を教えてください。 

日本では、“茶の湯”という文化が発達していきました。中世は、儀礼の際に飲むお茶と “日常茶飯事”という言葉があるように、食事のあとにお茶を飲むという習慣の、2つのタイプがありました。禅宗の儀礼として日本に伝わった“茶の湯”は、そのお茶の部分が強調されたもの。時を経て上層階級の知的な遊びへと発展し、千利休(1522年〜1591年)によって、“侘び茶”と呼ばれる体系がつくられて、今の“茶の湯”の完成と相成りました。

Coca-Cola Journey Special“Japanese Tea”
15分でわかる「日本茶」の歴史

せんりきゅう/織田信長と豊臣秀吉に仕え、茶道千家流の始祖となった。
今井宗久、津田宗及と共に茶湯の天下三宗匠と称せられた。
(千利休画像 堺市博物館蔵)


Q. お茶はなぜ、武士や貴族の間で大切にされたのでしょうか。 

日本に“茶の湯”を持ち込んだと言われている栄西は、二日酔いでダウンしている源実朝(1192年〜1219年)に“喫茶養生記”という本と一緒にお茶を献上しました。この“喫茶養生記”は、お茶は薬であるということが書いてあるもので、お茶は当初、その薬効がアピールされていたことが理解できます。その後、お茶は貴族や武士に広まり、「薬」という字が「楽」という字に変わるように、宴会の後の遊びにまで取り入れられていきます。

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