文=コカ・コーラ ジャーニー編集部

■世界中が憧れた清涼飲料

1923年から60年以上にわたりザ コカ・コーラ カンパニーの経営の指揮を執ったロバート・W・ウッドラフ社長は、「『コカ・コーラ』を、たとえ世界のどこにいようとも、飲みたくなったときに手に入れられる清涼飲料にする」というビジョンを持っていました。そのビジョンが一気に現実味を帯びてきたのは、第二次世界大戦後のこと。ボトリング(瓶詰め)システムが確立されたことにより、「コカ・コーラ」が販売される国の数は、1940年代半ばから1960年にかけて倍増、世界中に流通するようになったのです。

戦後のアメリカ社会は、経済的な繁栄と楽観主義に沸き立っていました。その中でも、「コカ・コーラ」は世界中が憧れた「楽しいアメリカンライフ」を象徴する不動の存在だったと言えます。そのことを示すように、この頃の「コカ・コーラ」の広告には、ドライブインのレストランで楽しくときを過ごすカップルや大きな黄色いオープンカーを運転する朗らかな母親など、時代の空気を体現する人々の姿が描かれていました。

ザ コカ・コーラ カンパニーは、創業から約70年もの間、「コカ・コーラ」という、たった一つのブランドしか販売していませんでした。その戦略を見直し、事業のさらなる拡大を目指して製品のラインナップを拡充することが決まったのもこの時期です。1950年代に「ファンタ」が発売され(実は、1940年代にはすでに開発されていました)、続いて1961年には「スプライト」が発売されました。

以前の記事はこちらからご覧ください。
第1回:1886年~1892年 http://www.cocacola.co.jp/stories/1886-1892
第2回:1893年~1904年 http://www.cocacola.co.jp/stories/1893-1904
第3回:1905年~1920年 http://www.cocacola.co.jp/stories/1905-1920
第4回:1921年~1940年 http://www.cocacola.co.jp/stories/1st_olympics