江戸時代に『綾鷹』は存在した !


──徳川将軍家や朝廷向けのお茶をつくっていた宇治郷の中では御法度とされていた新たなお茶づくりを、第十代上林春松は密かに行っていたそうですね。それが日本コカ・コーラの『綾鷹の名前に繋がったということですが。

上林 文献には、「天保年間
同志宮林有斎なるものと相計り、濃薄に製すべき芽を摘採し、以て煎茶に製し、銘ずるに綾鷹を以てす」という記述が残っています。「相計り」というのは「はかりごと」ですから、本当はやってはいけないことでした。

 製造してはいけなかったわけですが、この時期に密かに生まれた新しいお茶に『綾鷹』という名前をつけたようです。そして幕末、第十一代上林春松がそれを一般市民向けに販売することを始めています。ちなみに『綾鷹』は後の玉露の一種であったのですが、『綾鷹』が誕生した当時はまだ、玉露というお茶のカテゴリーは存在していませんでした。

──明治維新以降、それまで幕府の庇護を受けてきていた茶師の多くは後ろ盾を失って次々と廃業の危機を迎えてしまった中で、上林春松家は一般市民向けの茶商へと転身を遂げることで生き残りに成功しています。なぜ、そのようなことができたのでしょう?

上林 幕末時の主人であった第十一代上林春松は、他家の茶師の主人と比べると若年であったということが大きかったのだと思います。若かったからこそ、それまでの商いのスタイルにこだわらず、柔軟に物事が考えられた。それが、すんなりと変化できたという理由の一つだと思います。


Coca-Cola Journey Special“Japanese Tea”
「上林春松本店」代表が語る
『綾鷹』誕生秘話



──環境の変化に応じて新たな試みを行うということは、幕末以降もありましたか。

上林 僕の祖父である第十三代上林春松は第二次世界大戦を経験しています。実は、この大戦下でも、現在の「上林春松本店」の業態に続く、大きな出来事があったのです。

 戦前の上林家は地方のお客様から注文とお代を受けてからお茶を発送する通信販売を行っていたのですが、戦争によってお客様の消息がわからなくなったことで売り上げが立たず、廃業の危機を迎えてしまいます。そんなとき、家の伝統でもある「革新性」を発揮し、親交があった人たちを頼って卸売業を始めたのです。

 また、私の父、第十四代上林春松は、百貨店へのお茶の卸売りを始めました。これも、変化です。路面店からすると、百貨店で販売を始めると路面店への来客数に影響してしまうから嬉しくないことだったろうと思います。
しかし、時代の変化とお茶の流通の先行きを予測する限り、このまま片意地を張って路面店販売だけにこだわることはしない方が良いだろうという判断をしたのです。

 そして僕の代になっての新たな試みが『綾鷹』の開発協力だったのです。




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