『綾鷹』プロジェクトに関わった理由


──最初に日本コカ・コーラさんから話が来たときには葛藤はありましたか?

上林 もちろんです。迷いも葛藤もあり、長い間はっきりとした返事はさせていただかなかった記憶があります。当時は、僕が代表に就任して
1年が過ぎた頃でした。まだまだ経営者としての経験も少なかったので、自分を成長させるためにも、他業種や、これまで接することがなかった方の話に真摯に耳を傾けようと考えていました。そんなとき、非常に大きな話を持ってこられたのが日本コカ・コーラさんでした。

 最初の段階では、プロジェクトが実現する可能性はほとんどゼロに近かったのですが、何回もお話を聞いているうちに、その仕事の面白さ、関わる人たちの魅力にどんどん惹かれていきました。そして自分が、このプロジェクトに前向きになるようないくつかのきっかけがあり、その結果として今に至っているというのが正直なところです。

──具体的にはどんなことがきっかけになったのでしょうか。

上林 まず、日本コカ・コーラさんは、耳障りの良いことばかりは言わなかったですね。たとえば、飲料の世界では1年に1000近いブランドが考案されるらしいのですが、その中で3年後に生き残っているのは、多くても三つのブランドだけだと。そのようなことを話してくれたことが、逆に、「正直な人たちだな」という印象を植え付け、信頼の醸成に繋がりました。

 また、日本コカ・コーラの担当の方に「もし僕が『やりません』という返事をしたらどうなるのですか」という話をしたときに、しばらく考えられて、「この企画は立ち消えになります」と言われたことも大きかったです。つまり、この仕事には、上林春松本店の代わりがいるわけではないということ。真摯に私たちのことを評価していただいているということを実感し、それを意気に感じました。


「父親が、背中を押してくれた」


──どなたかに相談はされましたか?

上林 当時は秘密裏にことを進めないといけなかったので、会社のスタッフにも誰にも相談をすることができませんでした。ただ、何回か日本コカ・コーラさんとやり取りをする中で、父親(第十四代上林春松)に相談をしようと思ったことがありました。もちろん、相談したところで、「そんなことやめておけ」と80%くらいの確率で言われるだろうと思っていました。それが、実際に相談してみると、父親はさきほどの百貨店での卸売りの話をしたんですよ。「第二次世界大戦後、若くして社長業を引き継いだ自分にも、百貨店へ出店しないかという話があった。当時は卸売りを中心としていたので自分も迷ったけれど、百貨店への出店を決めた」と。そして父親以前にも、上林家は何度も苦しい時期がありながら、自分たちの販売スタイルを柔軟に変化させて生き延びてきた、という話を延々とされました。

 結論として父親からは「やりなさい」とも「やめなさい」とも言われませんでした。しかし、父親の言葉から、気負わずに思うようにやりなさい、どちらにしても判断するのはお前だというメッセージを受け取りました。その瞬間、父親に背中を押してもらったような気がしました。そして、伝統を守るだけでなく時代の流れを読んで新しいことにも果敢に挑戦してきた上林家の歴史を紐解いていけば、イエスという返事をするのが一番自然なのではないかと思ったのです。


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