元『広告批評』編集長が、独自の視点で
コカ・コーラ社に関するクリエイティブを分析します。
連載最終回となる第6回目は、
コカ・コーラのコミュニケーション戦略を総括します。

文=河尻亨一 

 これまで5回にわたり、日本と世界、過去と現在のキャンペーンを紹介しながら、コカ・コーラというブランドが「なぜ世界中で長らく愛され続けているのか?」についての秘密を、広告の視点で考察してきた。

 コカ・コーラは常に、「ブランドが提供できるHappiness(価値)とは何か?」を追求し、その時代にふさわしい手段、それぞれのカルチャーにマッチした語り口で、自らのメッセージを伝え続けてきた、ということだけでも感じていただけたなら幸いである。

 言葉にするとあっけないくらいシンプルだが、これを世界規模で実行すること、世紀をまたいで持続すること、そして予定調和を打ち壊すことは難しい。

Happiness」はどんな文化にも受け入れられる普遍的価値ではあるが、目に見えるものではないし、スタイルは常に変化し続ける。現在にしか拠り所を持てないエモーションでもあり、ブランドがそれをメッセージとして前に出すことには、リスクも伴うのである。

 つまり、コカ・コーラを“Happinessのアイコン”と定めた瞬間に、その広告の試みは、終わりのない冒険とならざるをえない。

 記録に挑み続けるアスリートのように、時代に挑戦し続けることがブランドのミッションとなるだろう。掲げていた旗を降ろせば、世界中の消費者たちとの“約束”が果たせなくなってしまう。

 コカ・コーラに限らず西洋社会にオリジンを持つグローバルブランドの広告をウォッチしていると、ときに我々には計り知れない“契約”の感覚がその深層に横たわっていることに気づいて、ハッとすることがある。笑えるジョークで広告表現がコーティングされていた場合であっても印象は同じだ。言葉は悪いが、成功しているブランドほど何年にもわたってくどいくらいに同じメッセージを発信し続けている、という印象さえある。

 それでいて、メッセージの届け方自体は大胆なまでに変えてくる。日本ではまだtwitterfacebookが普及していないとき、それらの存在を教えてくれたのは、西洋圏の広告だった。最新技術に適応するとは、そういうことなのだろう。コアがあるからこそ、それができるのだ。

 2020年東京オリンピック開催が決まったその日、コカ・コーラは1本のコマーシャルを公開した。「TOKYO 2020 Olympic GamesWhy We Sponsor」と題された75秒の動画である。

http://www.youtube.com/watch?v=H6fQmOxjPxo

 この動画では、走り幅跳びのジョー・オーウェンズ、新体操のナディア・コマネチ、水泳のマーク・スピッツ、サッカーのジーコら、オリンピックで偉業を成し遂げた歴代のスター選手たちの貴重な記録映像と、その姿に励まされ、みずからスポーツを始めた人々のエピソードが交互に紹介されていく。

 たとえば、ブライアン兄弟が6つ目のグランドスラムを勝ち取った年には、多くの高齢者が卓球を始めたという。

 そしてコマーシャルは、こう締めくくる。「数えきれない人たちを感動させるスポーツの力に気づいたその日、コカ・コーラはオリンピックをはじめ、世界中のスポーツプログラムのスポンサーになることを決めた」。

 コカ・コーラ社が初めてオリンピックのスポンサーとなったのは、1928年のことだという(アムステルダムオリンピック)。

 この広告を比喩として読み解けば、そこにもブランドの理念が浮かび上がる。言うまでもなく、アスリートたちがコカ・コーラであり、人々が消費者である。きっとコカ・コーラは「そういった存在でありたい」と考え続けているのだと思う。それが“Why We Sponsor”に対する真のアンサーだ。

 そして、スポーツに勇気づけられた人々が自分でも何かを始めるように、人々をオプティミスティクでポジティブな行動へ誘うきっかけづくりをしたいと願っているのだろう。アメリカのDNAをそこに感じる。

 幸福にもさまざまな種類の幸福があるが、コカ・コーラの言うHappinessとは、そのようなニュアンスを持つ幸福であることがこの広告から見て取れる。

 アスリートと人々のあいだに紡がれ続けてきたストーリー。信じない人もいるかもしれないが、ブランドと消費者とのあいだにもピュアな物語がある。

 そのとき広告は、「宣伝、PR、販促、マーケティング」など、いずれの意味をも含みつつ、それらを超越するブランドコミュニケーションとなり、オーセンティックなエモーションを宿す。ミッションはあくまでそこにあり、メディアや技術は手段にすぎない。

 コカ・コーラをはじめ世界の優れた広告をウォッチし続けて見えてくるのは、その目的達成に向けての強固なロジックの存在と、積み上げられたハードルをいとも簡単に超えるクリエイティブの存在である。広告もアスリートのようにやればよいのかもしれない。科学と人体、ヒューマンマインドの頂点を目指して。

 しかし、世界の国々がそれぞれのカルチャーを持つように、日本には日本のカルチャーがある。だから、もしも、コカ・コーラのような“消費者に届く”広告を日本でもつくりたいのであれば、その“人格”に、ヒントはあると私は思う。少なくとも知った上で、さらには見極めた上で、自らの進む道を決めるのとそうでないのとでは違いそうだ。

 グローバル規模のスポーツイベントの主催国となるからにはなおさらそうであるだろう。「他者を知り己を知る」は、あらゆる戦略の基本だと聞く。そうでなければ“おもてなし”だってできないだろう。

 世界のHappinessコカ・コーラHappiness、そして日本と私たちのHappiness。それらの交わりを近い将来見られると思うと、私はちょっとワクワクする。世界中の人々が集うオリンピックはコミュニケーションの祭典でもある。