ifs未来研究所 所長 川島蓉子氏が、日本のビジネスシーンやカルチャーシーンなど、さまざまな分野でブランドの価値づくりに携わるキーパーソンにそのノウハウを聞いていく連載。第3回は、「スノーピーカー」と呼ばれる熱烈なユーザーたちに支えられ、売り上げを拡大し続けるアウトドアブランド「スノーピーク」の山井太社長にお話をうかがいました。

文=川島蓉子
写真=松本昇大

 

 新潟県三条市でアウトドアを手がけるスノーピークという企業があり、ユニークな社長が率いているという話は、以前から耳にしていた。グッドデザイン賞に出品された同社の製品や本社社屋を目にし、モダンで斬新な有り様に心引かれた。「いつか社長にお会いしたい!」と思っていたのである。

スノーピークの本拠地「ヘッドクオーターズ」。本社、工場、ナチュラル ライフスタイル ストアとキャンプフィールドが同居した場所である。一般見学も可能だ。

  大柄で豪放磊落、強気で優しい、そして圧倒的にワンマン———勝手に社長像を描いてもいた。実際、お会いした代表取締役社長の山井太さんは、想像に符号する方だった。ただインタビューを始めると、何だか少し違う。雪崩のように言葉を発するタイプだと思ったのに、そうでもない。気後れやはにかみが見え隠れしている。やはり雪国らしく、少し引っ込み思案なのだ。同郷である自分を鏡で見るような気がした。地味な県民性を持った新潟という地から、山井さんがユニークなブランドを作り上げ、世界に向けて発信している理由を深く聞きたくなった。

 

「自らもユーザーである」

 スノーピークの前身「山井幸雄商店」は、1958年に山井太さんのお父さん山井幸雄さんが創業したもので、金物問屋であった。登山を趣味としていた幸雄さんは、当時の登山用品の品質に不満を持ち、オリジナル登山用品を開発(63年登山用品ブランド『スノーピーク』を商標登録)全国に販売を開始し、64年には有限会社山井商店を設立して法人組織化、釣り用品に参入して業容を拡大していった。山井さんは明治大学を卒業後、即山井商店に入社したのではなく、外資系商社のリーベルマンウェルシュリーに就職した。欧米のラグジュアリーブランドを日本市場で展開する仕事は「充実して楽しかった」という。

 「3年経ったら継ぐ」という約束を交わしていたことから、その後、帰郷して家業についた。この期間に培ったブランドづくりの視点やノウハウが、スノーピークを強くしていくのに役立ったのだろう。スノーピークに入社後は新規事業を担当し、従来の事業領域ではないアウトドアに進出しようとオートキャンプ用品を始めることにした。88年からキャンプ関連事業に進出したが、これが大ブームに。倍々ゲームのように売り上げが伸びていった。

スノーピークの前身「山井商店」の看板がスノーピーク ヘッドクオーターズ内に展示されていた。

 しかし、93年あたりから翳りが見え始め、94年から一転して売り上げ前年割れを続けるようになる。そんな96年、山井さんは火中の栗を拾うかのように社長に就任、社名を株式会社スノーピークに変更した。「会社の危機だった。次なる手を打たねばと思いました」。

 考え抜いた結果、「次なる手」を2つの選択肢に絞ったという。「一つは、従来の専門店チャネルに加えてGMSなど量販店に拡大していく方向性、もう一つは、ものづくりの姿勢は変えずに海外マーケットにも進出する方向性でした」。市場をピラミッドにたとえれば、裾野の広い方に向うか、頂点に向うか、二者択一と考えたのである。

山井太社長(54歳)

 山井さんが選んだのは後者だった。まずは徹底的に品質を上げて自社製品を安売りするのではなく価値を上げる方向に舵を切ったのが、後に奏功した。「自分たちもアウトドアライフを愛するユーザーである」という考えに基づき、「ユーザーだったらこういうものを求めるだろう」という仮説と、実際にそれが受け入れられたかどうかを調べる「検証」のプロセスを繰り返し、開発に力を注いだ。そして4年かけて金属製の燃焼器具である小型の「ギガパワーストーブ“地”」をつくり上げたのである。

 

売上低迷を断ち切った施策

 しかし努力を続けるも、売り上げは落ち続けていた。「企業として存続していく社会的意義がわからなくなっていたのです」。それでキャンプイベントを開催し、直接、ユーザーの声を聞くことにした。山梨県の本栖湖に30組のユーザーを集めた「スノーピークウェイ」というイベントを行ったのである。

 

「モノはいいが値段が高い」「店の品揃えが充実していない」など、商品や売場について多くの声が集まった。「真のお客さんは彼らであり、応えなければならないと強く感じましたが、考えれば考えるほど悔しくて眠れず、新潟への車中で心を決めました」。

 山井さんの取った施策は明快だった。問屋を介す流通を止める。製品の販売先を自分たちが良いと思う店舗に絞る。カタログに載っている商品をすべて扱う特約店とする。これを1年の間に断行したのである。流通過程を短縮することで流通コストを圧縮し価格を下げ、全国1000店あった取扱い店を250店まで絞り込んだ。自社ブランドに最適な流通を整備し、品揃えと接客の有り様を見直したのである。短期で思い切った施策をとったことが奏功したのだろう。結果は早く出た。2000年から増収増益に転じた。

スノーピーク ヘッドクオーターズの開放的なオフィススペース。

 並行して、独自性の強い商品開発も、地元である燕三条の技術を活かして進めた。前に触れた「ギガパワーストーブ“地”」は、板状で折り畳み式のゴトクが付いていて、調理器具に合わせてサイズを変えられるという便利な燃焼器具。風に強いなど悪条件でも使える高機能を備えている。ゴトクを回転させると手のひらサイズになるコンパクトさも秀逸だ。こうやって、地元の工場や職人が持っている技術を引き出し、今という時代に使える製品に仕立てるのに努め、スノーピークらしさを切り拓いていった。

 

地方発のコミュニティブランド

 同時に、海外に向けた販売チャネルも切り拓いていった。世界のハイエンドマーケットを狙おうと、98年に米国の見本市に出展したのである。バックパッカー誌による「エディターズチョイス」という世界でも栄えある賞を授賞し、欧米の多くの店舗でスノーピークが売られるようになっていった。三条市から世界へ向けて、地元の技術に正当な価値付けをして発信していく。新しいビジネスを築いていく。魅力的なブランドづくりだと思う。

 

 山井さんは「ユーザー同志が結びついているという意味で、スノーピークはコミュニティブランドだと思います」と言う。たとえば「ハーレーダビッドソン」が、ファン同志でツーリングを楽しむように、「スノーピーク」は、全国各地でキャンプイベントを毎年行い、ユーザーを増やしている。年間100万円以上のブラックカード会員が300人、30万円以上買うプラチナカード会員が3500人いて、売り上げ全体の25%を占める。ファンがブランドに付いていて、コミュニティを築いて共に行動する。日本のコミュニティブランドの雄にスノーピークがなっていく可能性は大きい。

 2011年には、地元三条市の豊かな山並みを控えゆるやかな丘陵を描く立地に5万坪の土地を購入し、そこに、地下1階、地上2階の3層構造で、本社機能と工場機能、販売機能(直営店)を兼ねた建物をつくり上げた。傾斜地に面し、大胆な直線使いが特徴的な建築デザインは、豪快さとモダンが同居していて美しい。そこを取り巻くように広大なキャンプ場が広がっているが、熟練スタッフによるキャンプ指導、地元の指導員によるさまざまなアクティビティーの提供、地場産のお米や野菜の販売といったサービスも充実している。

スノーピーク ヘッドクオーターズ内に併設された工場(上)、
修理やメンテナンスを行うアフターサービスルーム(中)、
ナチュラル ライフスタイル ストア(下)。
社員たちは製造現場や販売現場を見ることで、「スノーピークとは何か」を日々体感している。

  グランピングに地場の食材を使ったイベントにと、山井さんの夢は次々に広がっている。未来を切り拓こうとする希望が、ブランドを強くしていっているのだと確信した。

 ブランドの生業を追求していけばいくほど、ユーザーとしての視点は抜け落ちがち。そこを徹底して見直し、価値を上げる方向に絞ったのが「スノーピーク」の再生と成功の秘訣だと思う。常にユーザーと直にコミュニケーションする場づくりをして、ブランドを磨き続けることを仕組み化した点も見習いたい。「日本の『エルメス』を目指したい」という山井さんの言葉に、共感を覚えた。