夏のオープンテラスでふと目についた、美しい女性。
素敵な笑顔の彼女は、いったいどんな人なのだろう。
例えば、どんな食べ物が好きなのか?
例えば、どんな恋愛をしてきたのか?
そして、僕と恋に落ちる可能性はあるのか…?
コラムニストの渋谷直角さんが、
そんな夏の出会いを”妄想”したエッセイをお届けします。

文・イラスト=渋谷直角



 その不思議な女性との出会いは、恵比寿で夕食の約束をしていた編集者の友人が連れてきたのが最初だった。さっきまで一緒に撮影をしていたのだという。ボブにシンプルなブルーのシャツとホワイト・ジーンズ、細いゴールドのネックレスときれいなブルーのピアス。あまりに飾りっ気のない格好だったので、職業がスタイリストだと聞いて少し意外に思った。
 驚いたのは、ものすごくよく食べること。そこは京料理の店だったのだが、おばんざいから始まり、揚げネギの包み焼き、トロカジキの漬け焼き、カンパチとマグロの刺身に自家製メンチカツ。さらに豚の塩角煮と湯豆腐まで、ほとんど彼女一人で食べてしまった。
 ファッションは外見が満たされる。食事はカラダの中が満たされる。これ以上の楽しみはないわ、と言う。
 次に驚いたのは、アルコールをまるで飲まないこと。
 すぐに酔っぱらってしまうから、らしい。ふだんはいつも、お茶かお水かコカ・コーラ。料理によって変えているのだという。飲めないのは寂しくないの? と聞くと、お酒がなくても充分美味しいから大丈夫。私はグルメじゃないから、知らない味を知りたいって欲求はないの。美味しいと思えればそれで幸せだから。
 あっけらかんと言われて、昨日さんざん、知人とあの店がどうの、と言っていた自分のことを思い出して少し恥ずかしくなった。
 お酒を飲むのは、正月、新潟に帰省したとき、父親につきあって晩酌を一杯だけ。それでも顔が真っ赤になって、潰れてしまうらしい。
 彼女はいろんな話をしてくれた。新潟ロシア村という、今はつぶれてしまったテーマパークのこと。北海道の摩周湖にある神の子池というパワースポットに感動したこと。愛媛の伊丹十三記念館。ジェイムズ・ブラウンのインスト曲。『イリュージョニスト』というアニメーション映画。若い頃のクリント・イーストウッドに夢中なこと。青山にある、矢沢永吉のバー。
 どれも興味深い話で、楽しい時間だった。
 週末は、予定がないといつも食べ歩きをしているという。自分も食べるのは好きなので、今度誘ってくださいと頼んで、別れた。
 次の日、その食べ歩きのお誘いメールが来たので、胸が高鳴った。ちょうど彼女のことを考えていたところだったからだ。
 もちろん、喜んで。そう返すと、絵文字だけの返事が来た。
 休日の待ち合わせは、渋谷の駅すぐにある楽器屋の前。まとわりつくような温い空気と湿気。今日も暑い。
 「おなか、すかせてきました?」と、彼女はボーダーのTシャツに白のショートパンツ、足下はスニーカーで現れた。ちょっと拍子抜けする。もう少しデート気分のつもりでいたのだ。
 「今日は暑いから、コカ・コーラ飲みたい気分だなあ。いいですか?」
 連れていかれたのは、並木橋近くにあるピザ屋。ニューヨーク・スタイルというのか、薄い生地の大きいピザをカウンターで選び、一枚切り取ってもらうシステム。彼女は当然のようにコークを頼むので、こちらも従い、同じものを注文した。大きなテーブルに横並びで座って食べる。この店には行ってみたかったの? ううん、テキトウ。いつもこんな感じで衝動的に入るの。
Living The Summer Vacation of Fantasy
──妄想バケーション
渋谷直角のエッセイ「夏の夜、コカ・コーラの味」

 彼女は食べるとき、いつもニコニコする。美味しそうにピザとコカ・コーラの小瓶を口にする。それが本当に幸せそうに見えた。横顔でも、それを見ているのはこちらも楽しい気分になってくる。彼女はいつもこんな感じなのだろうか。
 
 もしさ、入ったお店の料理が美味しくなかったら、どうなの? と尋ねると、小瓶を軽く振って、「コークで流し込めば、問題なし」と笑った。
 
 店を出て、歩いて並木橋の下をくぐる。「あ、ここ知ってます?」と彼女が手を引っ張ってきて、少しドキッとした。
  清掃工場の近くにある、小さな植物園。工場で使われる熱を利用して育てている、近隣への還元施設として建てられた場所らしい。渋谷にこんな場所があるなんて。縦長の吹き抜けで3つのフロアがあり、3階の休憩室の椅子に腰をかける。
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──妄想バケーション
渋谷直角のエッセイ「夏の夜、コカ・コーラの味」

 ここは好きな場所なの、植物を見ると落ち着くでしょう? と言って、彼女がトートバッグから包みを取り出した。バインミー・サンドウィッチ。あなたと会う前に買ってきたの、という。
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──妄想バケーション
渋谷直角のエッセイ「夏の夜、コカ・コーラの味」

 え、もう!? と少し狼狽える。ついさっきピザを食べたばかりなのに。でも、彼女がとてもよく食べるのはわかっていたことだ。食べながら、彼女が最近の仕事の話をする。ある広告の撮影があり、打ち合わせで何度も企画が二転三転して、そのたびにスタイリングの衣装を借り直さないといけない。それでもなんとか当日の撮影にこぎ着けたのだが、それまで打ち合わせにも参加していなかったクライアントの上司が突然やってきて、「話が違う」と言い出し、そのまま撮影がナシになってしまったのだという。
 
 仲のいいタレントにムリ言って頼んだ撮影だったので、芸能事務所もカンカンになってしまい、明日謝りにいかないといけないからユウウツなんだ、と彼女は言う。だが、あまりに美味しそうに食べているので、ぜんぜん深刻な感じを受けない。正直にそう言うと、彼女が吹き出して笑う。食べてると幸せになっちゃうんだよなあ、情けない、と頭を掻いた。その照れる仕草はとてもチャーミングで、魅力的だった。
 植物園を出ると、「少し歩かない?」と提案する。ピザとサンドウィッチと立て続けだったので、ちょっと腹ごなしをしたかったのだ。だが、その提案は逆効果だったのかもしれない。歩いてる途中に見つける、シュークリーム、タルティーヌ、たこ焼き、かき氷。「ちょっとつまもう」などと嬉しそうにお店に入っては注文していく。気づくと青山まで歩いていた。彼女が、ここまで来たら赤坂の老舗の羊羹屋さんにいこう、とニコニコする。こっちも苦笑まじりに、すごい食欲なんだね、と言うと、それはわかってたことでしょ? と、まるで気にしてない様子。あっけらかんとして奔放。彼女は、どんな気持ちで自分を誘ってくれたのだろう、とわからなくなった。
 陽が落ちて、少し涼しくなる。ケヤキ通りの前で、彼女がそうだ、と飛び跳ねた。「野球、観よう!」。
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──妄想バケーション
渋谷直角のエッセイ「夏の夜、コカ・コーラの味」

 神宮球場でナイター観戦。ようやくデートっぽくなった。外野自由席の安いチケットを購入し、席につく。整備されたグラウンドの緑が目に優しく、夜風が気持ちいい。自分たちの座ったポール側はガラガラで、少し離れた距離から聞こえる応援の声もほど良い喧しさ。スタンドのいちばん上に座った。彼女がコカ・コーラ2本と、ウインナーを買ってくる。
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──妄想バケーション
渋谷直角のエッセイ「夏の夜、コカ・コーラの味」

 彼女が目を細めながら、野球は詳しくないんだけど、あのツバメが可愛くて好きなの、と指をさした。グラウンドの隅で、野球帽をかぶったツバメのキャラクターが愛くるしく動きまわっている。そして彼女が、今日はつき合ってくれてありがとう、とグラウンドの方を見つめながら言った。すごく食べるから引いたでしょ? いや、ぜんぜん。君と一緒にいてすごく楽しかったよ、と返す。
 実際に楽しいと思っていたのだが、彼女はお世辞だと受け止めたようだ。ふふ、と笑って、自分のことを話しだした。去年まで妻子のある男性とつき合っていたこと。道ならぬ恋だが真剣だったこと。彼が自分に付き添って同じ量を食べてくれていたので、彼だけがあっという間に太ってしまい、それで向こうの奥さんにバレてしまったこと。そのあと、結局別れてしまったこと__。
 どっちもバカだったのね、と彼女はつぶやく。でも、その彼女の表情も幸せそうに見えて、思わず笑ってしまった。なによう、と少し頬をふくらます彼女に、ごめん、そんな話を美味しそうな顔でするからさ、と言うと、彼女は照れた表情を浮かべて、あの時は辛かったけど、結局、コカ・コーラで流し込めば問題なし、になっちゃうんだよなあ、と頭を掻いて、微笑んだ。
 ゲームはちょうど5回の裏が終わり、神宮球場ナイター名物の花火が打ち上がった。300発の花火だ。ドンドン、と夜空に響き渡る中、どちらからともなく、唇を重ねた。彼女の唇はコカ・コーラの甘い味がする。その時間は花火が終わるまで続いた。空の音が静まり、唇が離れる。このあと、どうする? と期待たっぷりに訊くと、彼女は大きな瞳で見つめながら、言った。
  「近くに美味しいカレーうどんのお店があるの」。