シーグラスのコレクターによると、運が良ければ、見つけた「コカ・コーラ」ボトルのかけらに意匠登録の日付やボトリングされた地名の刻印、側面に彫られた溝が残っていることもあるそうです。もともとシーグラスは何十年もかけて波に磨かれてできるため、これらの特徴を残すものは非常に珍しいとビュークは言います。

シーグラスのもとになるのは捨てられた瓶、食器などです。埋め立て地の廃棄物や難破した船から流出した製品、リサイクルの仕組みがまだなかった19世紀から20世紀前半にかけて投棄された製品の多くがやがて海にたどり着き、何十年もの間波に揉まれ摩擦を受ける中で、ジュエリーデザイナーやコレクターを虜にする、滑らかでかすみがかった素敵な風合いに姿を変えていったのです。

リサイクル制度やボトル回収制度が普及した上、プラスチック容器の使用も増えた今、ラモットが宝物にしているような「コカ・コーラ」ボトル由来のシーグラスを見つけることは難しくなっています。それがかえって最近の人気を後押ししている可能性もあるとコレクターは言います。

「見つけることが難しく、姿を消しつつあるものだと知っているから、シーグラスを購入するジュエリー作家が増えていますし、その値段も上がっています」とラモットは言います。インターネットや雑誌・新聞で組まれる特集企画も、ファン層の拡大につながっているようです。

「コカ・コーラ」ボトル由来のシーグラスが人気沸騰中!?
Why Coca-Cola Bottles Are a Cherished Find for Sea Glass Collectors
写真協力:メアリー・ベス・ビューク




■ コカ・コーラ」ボトルと「琉球ガラス」の深い関係

ところで、日本のガラス文化にも「コカ・コーラ」ボトルが一役買っていることはご存知でしょうか?コカ・コーラ社は第二次世界大戦中、海外に駐留する米軍のために何千本もの「コカ・コーラ」ボトルを輸送しており、その先には沖縄県も含まれていました。戦後になって、物資が極端に不足した島に戻ってきた人々は、捨てられた「コカ・コーラ」ボトルを集め、シンプルな電球から複雑な模様の花瓶まであらゆるものにつくり替えていきました。今日「琉球ガラス」として知られる沖縄県屈指の名産品は、このような住民の創意工夫から発展してきたのです。

最近でも、日本コカ・コーラ株式会社によるデザインの持続可能性をテーマとした企画の一環で、デザイナーの佐藤オオキが「コカ・コーラ」ボトルをエレガントな緑色のガラス食器に生まれ変わらせました。

かつてはジュエリー作家を中心に人気を博したシーグラスですが、美しさと歴史が混ざり合うその魅力に気づく人が増えるにつれて、現在ではスイミングプールの装飾、壁飾り、ウィンドチャイムなど、創意あふれるさまざまな作品に活かされています。

ビュークはこう語ります。「シーグラスは長い旅を経てきた歴史の結晶だといえます。まるで人生そのもののように、厳しい環境を潜り抜けることで美しさを増し、最終的に可憐で穏やかな表情を獲得したものなのです」