ワールド・オブ・コカ・コーラ博物館を訪れたシャーリー・ハスリー(2016年9月)

 

2016年9月、ジョージア州アトランタにあるワールド・オブ・コカ・コーラ博物館に、特別なお客様が来館しました。彼女の名前は、シャーリー・ハスリー。小学校教師を務めていた1967年に「コカ・コーラ」の広告に登場し、アフリカ系アメリカ人を起用した広告の新たな可能性を切り拓いた人物です。なぜ、ハスリーは広告に出演することになったのでしょうか? そして、広告出演をきっかけに、彼女の人生にどんな変化が起ったのでしょうか? 一人の女性のストーリーをご紹介します。

文=エリオット・スミス

 

■風当たりの強かった新任教師時代

コカ・コーラ」の広告への出演以前、ハスリーは小学校教師として、人種差別という悪弊を変えるべく奮闘していました。

カリフォルニアのサンフランシスコ州立大学を卒業したハスリーは、1965年にサンフランシスコ郊外のミルバレーにある小学校で教職についていました。裕福な白人が人口の大半を占めるミルバレーに、アフリカ系アメリカ人の教師が赴任したのは、史上初のことでした。

人種差別感情が根強く存在していた当時、ハスリーのキャリアの滑り出しは、決して順調なものではありませんでした。「私を歓迎する雰囲気などありませんでした。子どもたちの両親は本心では私を受け入れておらず、教師着任反対運動を起こそうとしていたくらいです」と、ハスリーは当時を振り返ります。それでも、教頭のサポートと自分自身の強い信念に支えられ、彼女は教壇に立ち続けました。

そんなハスリーが「コカ・コーラ」と運命的な出会いを果たしたのは、1966年初頭のこと。
「車に戻ろうと道路を渡っていたとき、突然、『コカ・コーラ』の広告担当の人に呼び止められたのです。『新しい広告キャンペーンの準備をしているんですが、あなたなら広告モデルにぴったりだと思いまして』と彼は告げ、私をポラロイドカメラで撮影しました。これから写真を本社に送り、本社の人間が気に入れば次のステップに進む、ということでした」

 

■スターではなく一般人を起用したねらい

当時、ザ コカ・コーラ カンパニー(米国本社)は、医師、弁護士、教師といった専門職に携わる一般のアフリカ系アメリカ人を主役に据えた、新たな広告キャンペーンを展開しようとしていました。

コカ・コーラ」の広告にアフリカ系アメリカ人が登場し始めた頃は、主にスポーツ選手や芸能人などの著名人を起用していました。その後、ザ コカ・コーラ カンパニーは広告のコンセプトを、一般人の日常生活を描く方向へとシフトしていきます。1955年にはメアリー・アレクサンダーが、アフリカ系アメリカ人の一般女性としては初めて、「コカ・コーラ」広告モデルに起用されました(冒頭の写真で、ハスリーの背後の広告に写っている女性です)。

ザ コカ・コーラ カンパニーでアーカイブ庫の責任者を務めるテッド・ライアンは、ハスリーを起用したキャンペーンの意図について、次のように説明しています。
ザ コカ・コーラ カンパニーは1950年以降、アフリカ系アメリカ人を起用した広告を展開していました。このキャンペーンは明らかに、米国内の人種差別をなくしていこうという同社の姿勢を示していました」

 

■広告出演をきっかけに、“コミュニティの一員”に

ハスリーは、自分が広告モデルに選ばれることになるとは、夢にも思っていませんでした。しかし、声をかけられた翌週の月曜日、ザ コカ・コーラ カンパニーから広告への出演を正式に依頼する電話がかかってきました。ちょうどその頃結婚を控えていたため、いったんは話を断りかけたハスリーですが、ザ コカ・コーラ カンパニーは「新婚旅行を兼ねて」と、1966年12月のニューヨークでの写真撮影に参加するよう彼女を説得します。

「高級ホテルとして有名なプラザホテルにも泊まれるという話だったので、すごくワクワクしました。思い出すだけで楽しくなってきますね。私にとっては、何もかもが新鮮な体験でした。広告の撮影って、何度も何度も撮り直しをするんですよね。大変な仕事でしたよ!」とハスリーは振り返ります。

ハスリーにとってその体験が特別なものになったもう一つの理由は、撮影を担当したのが、世界的に有名なフォトグラファーであるリチャード・アヴェドン(*1)だったこと。広告は三部構成となっており、撮影はそれぞれ、ニューヨークの学校、プラザホテル、セントラルパークで行われました。

そして1967年の秋、ついに広告は完成。その広告が『Ebony』や『Jet(*2)などの雑誌に掲載されると、ハスリーの地元コミュニティには大きな衝撃が走りました。

*1 リチャード・アヴェドン(1923-2004):米国の写真家。アーティスティックなファッション写真の他、マリリン・モンローボブ・ディランなど著名人のポートレート作品がよく知られている。
*2『Ebony』『Jet』:二誌とも、アフリカ系アメリカ人がメインの読者層の総合誌。

1967年の「コカ・コーラ」広告で使われたハスリーの写真

 

「撮影を終えて地元に戻ると、皆とても興奮していました。広告出演を通じて、私はある意味でコミュニティに受け入れられたんです。すべての問題が解決したわけではありませんでしたが、仲間として認められる一つのきっかけになったんですね」と彼女は言います。まさに、ザ コカ・コーラ カンパニーの狙い通りの成果があったというわけです。

ハスリーはその後も数回、広告モデルを務めましたが、次第に自分の天職は教師であると確信するようになりました。
「モデルの仕事は、自分にとって何が大切なのかを本気で見直すきっかけを与えてくれました。もし、広告に出続けていたら、教師としてのキャリアはいずれ手放すことになっていたでしょう。教壇に立ち続ける道を選んで良かったと思っています」

 

■50年続く「コカ・コーラ」との絆

ハスリーは小学校教師として38年勤め上げ、退職してからは、地元で慈善活動に携わっています。また、彼女は最近再婚し、2016年の新婚旅行では、アトランタのワールド・オブ・コカ・コーラ博物館を訪れました。驚いたことに、博物館のスタッフは彼女にすぐに気がつき、館内のツアーを申し出たと言います。ハスリーはそのことを、50年もの間、自分と「コカ・コーラ」の絆が続いていることの証と受け止めたそうです。

彼女は改めて、広告モデルを務めた体験について、次のように語ってくれました。 「当時は、広告に出演することの意味をそこまで深くは考えていませんでした。自分が、広告を通じて人種間のキャリア平等を訴える草分け的な存在になるとも、あまり考えていなかったんです。でも、今では、広告でモデルを務められたことを誇らしく思っています」