コカ・コーラ愛飲家」の批評家・宇野常寛氏が、
コカ・コーラ社製品と自身の日常との接点、
そして、その記憶を詳らかにした連続エッセイです。
連載最終回となる第5回は、会社員時代の宇野さんと
ジョージア」の思い出について。
文=宇野常寛

 コカ・コーラ社の飲料にまつわる思い出話を綴ってきたこのコラムも今回で最終回になる。今回はこれまでとは異なって、僕の会社員時代の話だ。
 京都で怠惰な学生生活を過ごしていた僕も紆余曲折の末、いつの間にか会社員になっていた。苦手なスーツに毎日袖を通して、花園の下宿から烏丸御池にある勤め先(もう存在しない会社だ)に毎朝自転車で通っていた。気がつけば、取引先や上司の愚痴が、口にする言葉の何割かを占めるようになっていた。
 最初の1年、負けん気の強い僕は毎日のように先輩や上司とぶつかっていた。当時の僕の職場には、随分と非合理的で精度が悪いしくみがたくさんあったように僕には見えた。僕はそれを手当り次第に指摘して、随分と反発を受けた。会社の「お局様」的な先輩社員の口癖は「宇野君、もっと空気を読んで」だった。彼女とは、彼女が辞めるまでずっと険悪な仲だった(たしかに経験の浅い新社会人の視点なので、僕の主張の中には見当違いな指摘もあったかもしれないが、そうでないものの方が多かったといまだに思っている)。
 基本的にはその主張の正当性を確信していた僕だけど、それとは別の問題として、僕はなんだか自分がものすごくダメなヤツになってしまったような気がして密かに凹んでいた。ことあるごとに「空気を読め(=自分たちの顔を立てろ)」としか言えないヤツがくだらないのは間違いないけれど、そんなくだらないヤツと毎日のようにケンカして時間と精神をすり減らしている自分もどう考えてもくだらないヤツだったからだ。
 さて、そんな会社だったが、いい出会いもあった。僕の直属の上司にあたる人は、ずっと編集者として働きながらペンネームで細々と評論活動をしている人だった。その人はいわゆる団塊世代で、僕との年齢は親子以上に離れていた。話を聞くと、僕が学生時代愛読していた文芸評論家の勉強会等にも出席していて、同人活動も行っていた。先輩とケンカばかりしている僕には正直、手を焼いていたようだったが、とても可愛がってくれたと思う。2人で取材に出た帰り道にジャズ喫茶でサボったり、会社関係の嫌な飲み会を理由を付けて早めに失礼して、別の店で本や映画の話で盛り上がったりした。その人は東京から、半ば単身赴任的に京都の会社にやって来た人だったけれど、京都に詳しく、ときどき雰囲気のある、今思うとたぶんそれなりに通好みの店によく連れて行ってくれた。特に、喫茶店の類いにはとても詳しかったように思う。しかし、当時の僕は職場に話の合う人がいる、というのがただ嬉しくて、コーヒーの味なんかほとんど顧みなかった。
 次第に僕は、自分も彼のような生き方をしてみたいと思うようになった。会社員をしながらでも、ものを書いていけるのなら、自分もやってみたい、と思うようになったのだ。後にも先にも、僕に師匠と言える人がいるとしたらこの人だけだと思う。
 僕はすぐに行動に移した。学生時代から培ったブログ仲間を集めて評論サークルを結成し、インターネットでの評論活動をはじめ、そして同人誌を発行し始めた。知り合いの編集者に売り込んで、男性誌やアニメムックでコラムや取材記事を書き始めた。会社を辞めて東京に引っ越して、同人誌の部数も伸びていき、ある雑誌で本にする前提の評論連載が決まりかけたころ、問題が発生した。
 どう考えても、時間が足りないのだ。
 そのころ僕は東京のある会社に籍を置いていたが、会社に隠れて手がけていたもの書きの仕事が多くなりすぎて、時間的にも、体力的にも、限界を迎えつつあった。その上、自分の雑誌の編集もやらなければいけない。基本的に夜の9時か10時頃自宅に戻ってからこれらの仕事を片付けるので、睡眠時間を削るしか時間を捻出する方法はなかった。そうなると当然、翌朝は寝不足で会社に行くことになる。3時間から4時間しか寝ていない状態で出勤するのもザラだった。
 そんなとき、よく飲んでいたのが会社の自動販売機にあったジョージアのブラックコーヒーだった。これは僕の人生において画期的なことだった。なぜならば、これまでの連載からおおよそ察しがつくように、僕は根っからの甘党であり、それまでの人生でほとんどコーヒーというものを飲んでこなかったからだ。と、いうかそもそも僕はこのコーヒーという飲み物が、どちらかといえば嫌いだった。
 だから僕はたとえどんなに豆自慢の純喫茶に連れて行かれても、問答無用でジュースを注文してきた。メニューにコーヒーしかないときは、ほとんど薬だと思ってのどに流し込んでいた。
 しかし、さすがに4時間睡眠で朝9時に出勤するような生活が続くと、脳を無理矢理目覚めさせるための「一服」が必要になったのだ。そして、これまでロクに飲んでこなかったせいか、これが効いた。気がつくと僕は毎朝出勤して、自分のデスクにつくとオフィスの片隅に設置された自販機でジョージアのブラックコーヒーを買って飲むのが日課になっていた。
 その後、僕はその会社を辞めて転職活動をし、副業を公認してくれる会社に移った。給料を抑える代わりに多少会社の仕事は軽くなったけれど、全体的にはますます忙しくなっていった。睡眠時間もどんどん短くなっていき、ますます僕は缶コーヒーが手放せない身体になっていった。2年ほど勤めて、その会社も辞めて独立した僕は、今ではほとんどコーヒーを飲まなくなった。しかし、ときどき駅のホームや散歩中の路上で、無性に飲みたくなってジョージアのブラックを買い求めることがある。そしてそのたびに、あの短かったサラリーマン時代を、苦々しい部分を含めて思い出す。
 ちなみに、京都時代の上司とは今でもときどき会っている。彼が数年前に新著を上梓されたときは僭越ながら書評も書かせてもらった。そしてこの年齢になってやっと、彼が連れて行ってくれるお店の味が少しだけ分かるようになってきている。