海と聞いて思い浮かべるのは、どんな景色ですか?
白い砂浜、カラフルなビーチパラソル、日焼けしたサーファー。
その情景は、きっと人それぞれ。
10年近くもの間、毎年同じ海の家で働くひろみにとっての海とは……。
小説家・山内マリコさんが『Coca-Cola Journey』のために
特別に書き下ろしてくれた、初夏にぴったりな短篇小説をお届けします。


文=山内マリコ
イラスト=祖田雅弘



 このあたりの海に、若者はまず来ない。あたしが言う若者っていうのは、せいぜい25歳くらいまでの遊んでる人のこと。ここに来るのは家族連れとか、30歳過ぎたマリンスポーツ好きのおじさんと、そいつが連れてくる微妙な女、そんなのばっかりだ。誰かに声をかけられるのを待ってるような、ビキニ姿のうぶな女の子も来るには来る。けどそれも、見てるとなんだか敗北感に打ちのめされるパーティピープル的なやつではなくて、「がんばれー。変な男について行くなよー」って遠くから応援したくなるタイプの、可愛らしい青春なんだ。

ひろみさんは、毎年ここで働いてるんすか?」
 20歳の新井くんは今日がバイト初日。汗をかきかき、鉄板の上で焼きそばをかき混ぜながら言った。
「うん、17歳の夏から」
 もう10年くらい、夏は毎年ここだ。
「えっ、高2?」
「そう、高2だった」
「不良っすね」
「別に不良じゃないよ。バイトしていい高校だったもん」
「いやそういう問題じゃなくて。海の家で働くって、やっぱなんか、イケてる子しかやらないじゃないっすか」
「あんた……ここがイケてるとでも言うのか?」
 あたしは軽く震えながら新井くんの顔を見た。
 畳敷きのプレハブ、半紙に墨汁で書かれた「オススメ! 焼きそば700円」の文字が潮風に揺れ、レンタルの浮き輪が吊るされている。お客はおじいちゃんおばあちゃんと孫の一組だけだ。孫はアイスを買ってもらってご機嫌。おじいちゃんの方は畳にひっくり返ってお腹を出して昼寝している。超気持ちよさそう。でも、イケてる光景からは100万キロ遠い。
 現実を認識した新井くんは、情けなさそうにハハッと笑った。
「できるだけチャラいとこでバイトしようと思ったんすけど、海の家っつってもやっぱ逗子とか由比ヶ浜とは違いますね」
「まぁね」
 あたしは由比ヶ浜がどこにあるのかも全然わかんないけど。
 でも、海は海だ。あたしはこの、ひなびた、静かな海がいちばん好き。
 新井くんは、地元の高校を卒業したあと神奈川の大学に進学して、でも夏休みは生活費を浮かせるため、ずっと実家に戻っていると話した。

 新井くんが炒めた焼きそばを紙皿に盛り、孫の相手に疲れ切ったおばあちゃんのところへ運ぶ。結局、その日は彼らが最後のお客で、日暮れ前には店じまいに取りかかった。夏休みといえど、平日はこんな調子。
「つーかこの店、経営大丈夫なんすかねぇ」
 新井くんが看板を仕舞いながらバカにしたように言うので、あたしは説明してやった。
「大丈夫なわけないじゃん。ここはただオーナーの厚意で開いてるんだから。利益なんて出ないよ」
 オーナーと言ってもただの地元のおじさんだ。
 代々ここで海の家を営んでいるオーナーいわく、昭和の中頃には毎年ものすごい人出で、浜には海の家が何軒も並んで大盛況だったという。それがだんだん人が減って、廃業する店が出てきた。せっかく海に来たのに海の家がないんじゃあんまりさびしいから、赤字覚悟でいまもつづけているのだ。さすが海の男って感じの心意気。でも、20歳の坊やにはわかんないか。

 なんか騒がしいなぁと思ったら、堤防に、4、5人の男子高校生の姿が見えた。
「げ! 全然ギャルとかいねぇじゃん!」
「なんだーシケッてるわ~」
 ぶつくさ言いながらも、「海ひろっ!」「海ヤべぇ」と、それなりに感動している様子。やがて彼らはこっちにやって来て、
「すいませーん、ビールくださーい」と言った。
 新井くんが「あ、はーい」と普通に出そうとするので、
「バカ。どう見たって高校生じゃん」
 あたしは新井くんを押しのけて、男子高校生に言ってやった。
「ビールなんてかっこつけてんじゃないよ。ほんとはなにが飲みたいの?」
「えっ……」高校生たちはたじろぎ、「俺はコカ・コーラで」「俺もコカ・コーラで」……ごにょごにょ密談したあげく、「コカ・コーラ5本ください」と言い直した。
 あたしはちょっと笑って、
「ハイ、コカ・コーラ5本ね」
 彼らに1本1本、氷水に浸かってきんきんに冷えたコカ・コーラの缶を手渡した。
 その缶をプシュっと開け、ごくごくのどを鳴らして飲み下すと、
「おねえさん、コカ・コーラうまいっす!」
 と、お調子者っぽい奴が言った。
「当たり前じゃん」
 あたしは呆れて言った。

 店の戸締まりをしたあと、デッキチェアに座って日が沈むのを見るのが、バイト終わりの至福の時間。エプロンをはずし、タンクトップ1枚になって、コカ・コーラ片手にぼーっとただ海を見る。
 別に帰ってもいいのに、新井くんもなんとなくとなりで黙って夕焼けを見て、「うわすげえ」「きれー」とか言いながら、しきりにカシャカシャ写真を撮ったりしてうるさい。
ひろみさんて、毎年ここで、これ見てるんすか?」
「うん。海好きだから」
「海好きだから……」
 新井くんはにやにやしながら反芻すると、
ひろみさん、渋いっす!」
 パァーッと顔を輝かせて言うので、ちょっと鬱陶しい。
 せっかくこの景色を、ひとりじめしてるっていうのにさ。